アイキャッチ画像撮影:鷲尾 太輔
登山のスキルを高めたい!そんなときは“山のプロ”にお任せ
登山を続けていると、「もう少し難易度の高い山に挑戦したい」「山のいろんな楽しみを味わいたい」という想いがわいてくるもの。実現のためには知識や技術の習得が欠かせません。
登山に詳しい人が身近にいない場合は、ガイド登山を依頼したり、講習会に参加したりするのもひとつの手です。必要なスキルはもちろん、その山や土地の歴史、植生についても学ぶことができるので、山の楽しみ方が広がります。
そうはいっても、誰にお願いしたらいいのか、どんな講習会に参加したらいいのか悩んでしまうことも。
そこで当企画では、自分の目標や目的、趣味趣向にあったガイドさんを見つけられるよう、さまざまなタイプのガイドさんにフィーチャー。今回は、石井スポーツ登山学校校長でありYAMA HACKでも雪山登山を中心とした記事監修で「スタンダードな登山技術」を教えてくれる天野和明ガイドを紹介します。
天野 和明(あまの かずあき)

提供:天野さん
日本人初のピオレドール賞受賞者が、いま伝えたいコトとは!?

提供:天野さん(ピオレドール賞授賞式にて・左が天野さん)
優秀な登山家に贈られる国際的な山岳賞が、ピオレドール(Piolet d’Or・フランス語で「金のピッケル」)賞。登山界のアカデミー賞とも呼ばれ1991年の創設以来、価値ある登攀を成し遂げた登山家が受賞者として選ばれています。
そんなピオレドール賞を2008年に日本人として初めて受賞した登山家(※)のひとりが、今回ご紹介する天野和明さんなのです。
※インド・カランカ北壁初登攀で天野和明さん・佐藤裕介さん・一村文隆さんが、インド・カメット南東壁初登攀で平出和也さん・谷口けいさんが日本人として初受賞
安全登山のためのスタンダードな登山技術・知識を伝えたい

提供:天野さん(アルパインスタイルというチャレンジングな方法で数々の高峰を登頂した天野さん)
ピオレドール賞受賞の対象になったインド・カランカ北壁初登攀以外にも、世界第4位の高峰・ローツェ(8516m)西壁の日本人初登攀(無酸素)など輝かしい経歴を持つ天野さん。こうした登山家の中には、さらなるチャレンジの舞台を求めて先鋭的な登山を続ける人も。
ところが天野さんは「ガイド」という立場で2010年から石井スポーツ登山学校の講師として、2016年からは校長として、一般登山者に技術・知識を伝える活動を展開しています。
より多くのお客様にアプローチするために……


提供:天野さん(石井スポーツの新入社員向け雪山研修会で、後進の育成にも積極的に取り組む天野さん)
天野さんのガイドとしての活動の対象は、クライアントとなる一般登山者だけに留まりません。積極的に取り組んでいるのが、後進の育成です。
活動の様子を拝見!
安全登山の啓蒙に尽力している天野さんですが、他にも多彩な活動を展開しています。なかには意外な側面も……!?
難ルートをしっかりサポート!山岳ガイドとしての活動

提供:天野さん(槍ヶ岳北鎌尾根などの難ルートもしっかりサポート!)
槍ヶ岳北鎌尾根・前穂高岳北尾根・剱岳北方稜線・ジャンダルム……登山者にとっての憧れであるバリエーションルートや岩稜ですが、自分だけでチャレンジするのは難しいもの。そんなときに頼れる存在が、天野さんのような山岳ガイドです。
ショートロープ(ガイドとクライアントをロープで繋いで転滑落事故などを防止する)で安全確保しながら、こうした難ルートへのチャレンジをサポートすることは「ガイド冥利に尽きる」そうですよ。
初心者でもわかりやすい!登山講習会講師としての活動

提供:天野さん(奥高尾のバリエーションルートにて地図読み講習会)

提供:天野さん(雪山初心者向けの講習会で甲州アルプスを歩く)

提供:天野さん(ツエルトビバークの講習会)
登山上級者向けの難ルートでしか、天野さんとの接点を得られない訳ではありません。石井スポーツ登山学校の講習会は、登山初心者でも参加可能です。
地図読みをはじめとした様々なスキル……。豊富な登山経験を持ち、多くのお客様と接してきた天野さんの講義は奥深いながらもわかりやすく、知識・技術の習得にぴったりですよ。
活動フィールド・遊び場である自然を守りたい!離島での自然環境調査

提供:天野さん(学術調査にも山岳班として参加)
毎年のように繰り返される冬の小雪や夏の豪雨。活動フィールドであり遊び場である自然環境を減少させかねない、地球規模での気候変動には天野さんも敏感です。
2017年から2019年にかけて4回行われた南硫黄島・北硫黄島での自然環境調査に同行。この場所は島全体が「天然記念物」となっており、東京都、首都大学東京、NHKの三者合同により実施された調査班しか上陸が許されない絶海の孤島です。
険しい断崖やジャングルでも自然環境を傷つけず、なおかつ安全に研究者たちの調査が実施できたのは、天野さんをはじめとする山岳班のサポートによるものだったのです。
故郷の山を美しく!甲州大菩薩ネルチャークラブでの活動


提供:天野さん(甲州大菩薩ネルチャークラブでの清掃登山)
現在天野さんは故郷である山梨県甲州市で、築150年の古民家を再生して暮らしています。
黒川鶏冠山・大菩薩嶺・小金沢山・牛奥ノ雁ヶ原摺山・大蔵高丸・ハマイバ丸・滝子山まで、富士山を正面に望む縦走路を「甲州アルプス」と命名したのも天野さんなのです。
甲州大菩薩ネルチャークラブという地域活動団体を組織し、周辺の山々の清掃登山や登山者の踏み込みによって荒廃してしまったお花畑の植生回復などにも取り組んでいます。
甲州大菩薩ネルチャークラブ|Facebook
ジャングルジムからヒマラヤへ……日本を代表する登山家の成長ストーリー
山梨県大和村(現:甲州市)で生まれた天野さん。自然豊かな環境で育った少年が、日本を代表する登山家になるまでのストーリーを伺いました。
格好良いという憧れとは裏腹……?厳しかった大学山岳部時代

提供:天野さん(明治大学山岳部時代の天野さん)
―――登山に興味を持ったきっかけは?
僕が生まれた山梨県大和村(現:甲州市)は山に近く、両親が少し登山をするので、小さい頃に何度か連れて行かれたことはありました。その当時はそんなに楽しいとは思いませんでしたが。
けれども男の子って、ある程度物心がつくと登山とか雪山とかに憧れるじゃないですか。ジャングルジムや木登りをする延長で登山をするイメージがあって、それは僕にとって格好良いものだったんです。
高校生の頃には、「いつか登山をしたいな」と思うようになっていました。
——本格的な登山を始めたのは?
進学した明治大学で山岳部に入部した時ですね。
明治大学の山岳部OBに植村直己さん(※)がいらして。僕をはじめ同世代の登山関係者の多くは、植村さんの本を読んだり、生き方に影響を受けたりした人が多いんですよ。
※植村直己:登山家・冒険家。1970年に日本人初の世界最高峰・エヴェレスト登頂、1978年に犬ぞり単独行で世界初の北極点到達などの偉業を成し遂げるが、1984年に冬期マッキンリー(デナリ)単独初登頂を果たして下山中に消息を絶つ。

提供:天野さん(昔ながらの装備での活動)
——偉大な先輩が在籍した明治大学山岳部での本格的な登山、さぞかし充実していたのでしょうね。
色々な意味で充実していましたね(笑)。
当時ですらレトロな装備になっていた三角屋根のテントやキスリングザックをわざわざ使った泥臭い登山を先輩方から徹底的に叩きこまれながら、1年中、ひたすら地道に山を歩いていました。
合宿前は毎回辞めたいと思っていて、不謹慎ですが天変地異が起こって中止にならないかと真剣に考えたこともありますね。
——それでもきちんと卒業まで続けたんですね。
やはり仲間に恵まれたのが大きかったかと……といっても同期は1人だけですが(笑)。
アイゼン・ピッケルワークなんかも地味な練習をひたすら繰り返させられましたが、練習ですらおぼつかない技術を、リアルな登山で咄嗟に実践できることはありませんよね。
そういう点では、貴重な経験をしたと思っています。
初の海外遠征が初の8000m峰登頂!

提供:天野さん(初の8000m峰登頂となったガッシャーブルムⅡ峰にて)
——大学卒業後も登山を続けた理由は?
僕が卒業した2001年に、明治大学山岳部OB会のパキスタン遠征の計画があったんです。卒業式の約1ヶ月後に出発というタイミングを逃したくなく、就職活動はせずに同行させてもらいました。
海外に行くこと自体が初めてで富士山より高い山に登った経験もなかったのですが、結果としてガッシャーブルムⅡ峰(8035m)に登頂することができて。さらに翌月には、ガッシャーブルムⅡ峰(8068m)に無酸素で登頂しました。
——ここから、8000m峰へのチャレンジが始まったのですね。
2002年には先輩にワガママを言ってローツェ(8516m)に無酸素でチャレンジさせてもらい、登頂できました。
翌年の2003年に無酸素登頂したアンナプルナ(8091m)が、自分の中での登山スタイルが変化するきっかけになりました。
極地法からアルパインスタイルへ

提供:天野さん(転機となった山・アンナプルナ)
——具体的には、どのような変化があったのですか。
アンナプルナまでの8000m峰は、明治大学山岳部隊による「極地法」というスタイルでの登頂でした。ベースキャンプから少しずつ高いところへキャンプを前進していき、ロープを固定していく比較的大人数での登山スタイルですね。
けれども1980年代にアンナプルナ南壁を「アルパインスタイル」で登攀した記録が1パーティーだけあって、これは世界的な登山なんです。「極地法」でアンナプルナを登りながら、今の自分では「アルパインスタイル」での挑戦は不可能でも、少しずつ自分に足りないものを埋めていけば実現不可能ではないかもしれないと感じたんです。
——「アルパインスタイル」とは具体的にどのようなスタイルの登山なのでしょうか。
予め設営されたキャンプ・固定ロープ・酸素ボンベなどに頼らず、登山家の力だけで登攀するスタイルです。
登山に必要な装備はすべて背負い、少人数(2〜3人)でリード(登攀)とビレイ(確保)する隔時登攀(スタカット)を行いますが、雪の斜面でビレイの意味がないような場合は、全員が同時に登る「同時登攀」が行われます。
「極地法」がピストン(往復)登山ならば、「アルパインスタイル」は縦走登山と思ってもらえるとわかりやすいのではないでしょうか。

提供:天野さん(ヨセミテ国立公園でのクライミング修行)
——「アルパインスタイル」では、登るのも下るのも持っているロープの長さ分だけしか行動できないのですね……。そこで天野さん自身が必要と感じたのは、どんな点なのでしょうか。
高所登山からいったん離れてクライミング的な要素を増やしていくことで、今までの高所の経験とクライミング的な経験を組み合わせたら、アルパインスタイルでのヒマラヤ登山ができるのではないかと考えました。
そこで2005年は、アメリカ・ヨセミテ国立公園でエルキャピタンをはじめとする岩壁でのクライミングに集中しました。
——そしていよいよピオレドール賞に繋がる「アルパインスタイル」の登攀に挑んでいくのですね。
結果的にピオレドール賞を受賞しましたけれど、僕たちの中では良い登山ではなかった……かなり運の良さが強かったんですよ。
僕らがコントロールできた部分は少なくて、結果的にラッキーの連続だったから登れた。1つでもラッキーではない部分があったら、生きて帰って来れなかったかもしれない。

提供:天野さん(アルパインスタイルでの登攀)
——そんな天野さんだからこそ、現在は運に左右されないスタンダードな登山技術の伝承に尽力しているのですね。
もちろん自分の中には「アルパインスタイル」での高所登山へのモチベーションもあります。ただそれが30代前半のような登山はできないという感じもあるんですよね。
やればかなり頑張れるという自信はあるんですけど、家庭だったり仕事だったり色々あって、ベクトルが以前とは違った方向にきている気がします。
かつての石井スポーツ登山学校の受講生さんが8000m峰へのチャレンジを叶えたり、ご自身がガイドとして活躍している様子を拝見すると、この仕事をやってきて良かったなと思います。
やっぱり故郷の山が好き!

提供:天野さん(尽きない地元・山梨への愛)
——一番好きな山は?
何といっても富士山です!
ヒマラヤなどの高所登山にチャレンジしている時期も、夏場は富士山ガイドとして多くのお客様をご案内してきたホームマウンテン。
故郷・山梨県を代表する山ですし、僕の誕生日が2月23日(富士山の日)であるというところも、因縁浅からぬところを感じます。
——天野さんが思う登山の魅力って?
他のスポーツと違ってルールに縛られない点でしょうか。
こうした方がベターというセオリーはありますが、絶対に守らなければいけない訳ではありません。
それぞれが自由な解釈で臨む“大人の遊び”が登山だと思います。
天野さんより、山好きのみなさん&登山を始めたい人へ

提供:天野さん
天野ガイドの著書
天野ガイドの監修記事
さまざまなガイドさんにフィーチャー!