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「登山は自己責任」は正しいのか。遭難ニュースで目にするネットとメディアへの違和感(2ページ目)

登山で自己責任は成立しない

救助ヘリ

撮影:森山憲一

自分はいつも細心の注意を払っており、だからこそ、くだらないミスで遭難した人の世話まで焼くつもりはないと思っているのなら、それは100%錯覚であり誤解である。きつい言葉であえて言えば、相互扶助の精神がないと成り立たない登山というものの本質を理解していない。

そうはいっても私だって、見るからに危なっかしい身のこなしと装備で、遭難が多発している穂高の難ルートに突入していこうとしているおじさんに「やめたほうがいいですよ」と声をかけたところ、「余計なお世話だ」という反応をされて、勝手にしろと思ったことはある。

あるいは、積雪期の富士山にスニーカーで登って救助要請をしてくるような低レベルすぎる遭難例もある。そんなやつのために救助隊が危険を冒し、公的コストをかけてまで助ける価値があるのかと疑問を抱く感情もよくわかる。

ただし、そのときにとる態度は「だから言ったろ、自己責任だ」ではない。「ふざけんなバカヤロウ」と言いながら助けることであるはずなのだ。

当事者である山岳救助隊も、「自己責任だ」なんて安易な決着は考えていない。彼らはそんな低レベルな職業意識で仕事にあたってはいない。「山を楽しんでください。万が一のときは躊躇せずわれわれを頼ってほしいです」。私はそう聞いたことがある。

実は、登山の世界で自己責任という言葉が使われ始めたのは最近のことではない。古くから、登山の教本や雑誌などでは、「登山は自己責任」ということが必ず書いてある。私は20年以上登山メディアにかかわっている人間であるが、この言葉にずっと違和感を抱いていて、自分で書いた文章にこのフレーズを使ったことはない。

通行止めの道路の注意書きによく「通行は自己責任で」と書いてあるが、その主目的は責任回避である。なにかあったときに「ここに書いてあるでしょ」と言うためのものだ。「登山は自己責任」という言葉にも同じ匂いを感じている。同じ目線に立つべき読者や登山者にかける言葉としてはあまりにも当事者性に欠ける。

登山は自己責任。確かにそれは目指すべき理想ではある。だが、自己責任を最後まで貫ける人は0.1%もいない。なにより、そんな大切な理想をたった7文字で表現して終わりでは、思考停止といわれてもしかたがないと思う。

登山の常識をアップデートしたい

撮影:森山憲一

「欧米では」という言い方はあまり好きではないし、その空気を完璧に知っているわけではないけれど、私の知るかぎり、欧米の登山界では、山での遭難やミスを「自己責任だ」と冷たく突き放す風潮は薄いように感じている。

「思いっきりやってきな。なんかあったら絶対に助けてやるから」

私の思い込みもあるかもしれないが、こんな感じだろうか。

日本の登山も、こういう空気が主流であってほしい。日本の登山が少しでもそういう方向に向かうために、私は登山メディアでの情報発信を続けている。

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