救助ヘリ

「登山は自己責任」は正しいのか。遭難ニュースで目にするネットとメディアへの違和感

2022/01/26 更新

いよいよ夏山本番!全国で登山者が一気に増えるこの時期に、同じく増加するのが山岳遭難です。遭難事故が起きるとテレビやネットニュースでも度々取り上げられますが、そこでどうしても出てくるのが「自己責任」という言葉。登山は自己責任であることが望ましいのは確かですが、果たしてそんなことが可能なのでしょうか?自己責任という言葉で思考停止してしまう前に、この言葉へ抱く違和感について一度考えてみませんか?

目次

初めて寄稿させていただきます。山岳ライターの森山憲一と申します。登山雑誌『山と溪谷』の編集に始まり、これまで20年以上、ほぼ登山メディアのみで仕事をしてきました。仕事だけでなく、自分自身が登山歴30年になるイチ登山者でもあります。今回は、日本の登山のあり方について、ずっと抱いていた違和感を書いてみました。


パタゴニア

撮影:森山憲一

今年2月、日本を代表するアルパインクライマーのひとりである佐藤裕介さんが、南米パタゴニアの山で転落事故を起こし、重傷を負った。

現場は切り立った岩山。SOSを発信すればすぐに救助がやってくるような場所ではまったくない。仲間は急を知らせに走って下山。幸い、麓には各国からやってきた強力クライマーが何人もいた。彼らは急遽、救助チームを結成。佐藤さんは奇跡的に一命をとりとめた。

同じようなことはヒマラヤでもある。

2008年、標高8091mのアンナプルナという山でスペインの登山家が遭難。高山病で動けなくなった彼のために、ベースキャンプにいた10カ国12人の登山家が救助に向かった。自分たちの登山計画をなげうってまで駆けつけた者もいた(結果的に助けることはできなかったが)。

日本国内でも事情は変わらない。

遭難があったとき、北アルプスなどでは山小屋のスタッフが救助に駆け付けることが珍しくない。ところが、山小屋のスタッフにとっては、遭難救助は義務でも仕事でもないのだ。彼らはまったくの善意から、遭難救助に携わっている。ときに危険を冒してまで。

私はこういう話を聞くとき、いつも激しく心を揺さぶられる。

同時に、こうも思う。自分は絶対に事故を起こさないようにしなくてはいけないし、もし、だれかが事故を起こしてしまったときは、自分にできることは躊躇なく実行しようと。

「自己責任」は「無責任」の裏返し

撮影:森山憲一

登山はもとよりそれなりに危険を伴うもの。日本では、年間300人ほどの人が山で命を落としている。リスクをゼロにすることは不可能で、山に入る以上、だれもがいつかは遭難する可能性がある。相互扶助の精神がないとそもそも成り立たないものであるのだ。

ところが近ごろ、山岳遭難のニュースがあったときに耳にする機会が増えた言葉がある。「自己責任」である。

「そんな軽装備で行ったんだから遭難するのは当たり前。自己責任」「自ら望んで危険なルートに行ったんだから事故を起こしても自分でなんとかするのが筋。自己責任」「そんな天気のときに行ったのが悪い。自己責任」などなど……。

主にネットの書き込みで見られるものだが、それだけではない。遭難を報じるニュースでも、記事の最後に「アイゼンは持っていなかった」などと、チクリとやるのがわりと定番的文体になっている。自己責任という言葉こそ使わないものの、「だから事故を起こしたのだ」という方向に印象を誘導している。

私はこの「自己責任」という言葉が大嫌いである。

「自己責任」の裏にあるのは「無責任」だ。しょせん自分事ではない、自分には関係のないことに対して、人は気軽に「自己責任」という言葉を使う。その証に、自分の親や子どもがなんらかの危機に陥ったときに「それは自己責任」とバッサリ切って捨てることができる人がどれだけいるだろうか。

登山と関係ない人が山岳遭難を自己責任と気軽に言うのはまだわかる(ただしそれが正しいことだとは思わない)。だが、多少なりとも登山をやっている人がそれを言うのはどうなのか。ケガや遭難はいつかはあなたの身にも降りかかる可能性があるわけで、まったく他人事ではない。

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