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エベレストに24回も登ったツワモノも!? ”シェルパ”って一体・・・

もちろんエベレストに登る人もスゴいんですけど、ほぼ毎回ニュースに出てくるこの”シェルパ”という存在。この人たちも「実はめちゃくちゃスゴい登山家なのでは?」と気になってしまいました。
少し調べてみると、じつはこの”シェルパ”という言葉には「民族」と「ヒマラヤの案内人」という2つの意味があったんです。
”民族”としてのシェルパ

世界的な観光地で暮らしながら、主に農業や放蓄業で生計を立てています。
”ヒマラヤの案内人”としてのシェルパ

今ではシェルパというと、この案内人をイメージする人が多いのではないでしょうか?
なかでもテンジン・ノルゲイは世界でもっとも有名なシェルパの一人でしょう。彼は1953年5月29日に人類が初めてエベレスト登頂に成功した時、エドモンド・ヒラリーと共にエベレストに登ったのです。つまり、シェルパはエベレストの初登頂時からヒマラヤの登山隊を支えていると言えます。
知られざるシェルパの世界
シェルパについて少し理解が深まったと思いますが、実際に会ったことがある人は少ないはず。大量の荷物を担ぎ、高山病が危惧される高所でも活発に活動できる、まさに超人的なイメージがあるシェルパ。実際にはどんな人々なのでしょうか?エベレストにも登頂したシェルパに突撃取材!

さっそく気になる質問に答えて頂きました。
意外や意外。実はシェルパは会社員?

ライター吉澤
早速なんですが、ネパールには数多くの山があります。シェルパが働く山域は決まっているのでしょうか?
ラマさん
働く山域は決まっていません。基本的には、全ての山を案内することが多いです。ただ、所属している会社から経験や出身地などによって、案内する山域を割り振られる場合もあります。
ライター吉澤
えっ!シェルパって会社に所属しているんですか?初めて知りました。企業の指示に従うというのは日本のツアーガイドと同じですね。
シェルパが所属する登山・トレッキングのサービスを行うトレッキング会社は1,000社以上もあるのだそう。
人数は1,000人以上?なかには国際山岳ガイドの人も

ライター吉澤
シェルパとして働いている人は、何人くらいいるんですか?
ラマさん
はっきりとした人数までは分かりませんが、1,000人以上はいると思います。
ライター吉澤
思ったよりもたくさんいるんですね。なかには女性もいるんですか?
ラマさん
はい、近年はたくさんの女性が活躍しています。今では、60名くらいのシェルパが国際山岳ガイドの資格を持って働いていますね。
ライター吉澤
体力が必要とされている現場で、女性が活躍しているとは凄い。
2019年の6月にはエベレストに登った性別の最多記録が更新され、男性シェルパでは24回、女性シェルパでは9回という記録が打ち立てられました。
やっぱりシェルパは強い!だけど、意外な一面も・・・

でもやっぱり気になるのは、大量の荷物を一人で担ぐイメージがあるシェルパの強さ。実際にどれくらいの装備を背負って、ヒマラヤの山々を案内するのでしょうか?
シェルパもスゴい。だけど、ポーターもスゴかった!

ライター吉澤
シェルパの方って、一人で何キロぐらいの荷物を背負いますか?
ラマさん
ヒマラヤ登山の場合、キャンプ間の標高によっても異なりますが、平均は約10~20キロ。
背負う荷物の重さによって給料に差が出るため、力があるシェルパはそれ以上の荷物を背負うこともあります。
背負う荷物の重さによって給料に差が出るため、力があるシェルパはそれ以上の荷物を背負うこともあります。
ライター吉澤
日本で雪山をテント泊で登ろうとすると、荷物の総重量は10〜20キロくらいになるでしょうか。
そこまで現実離れした重さの装備を背負っている訳ではないのですね。しかし、あの高所なのでやっぱりスゴい。
そこまで現実離れした重さの装備を背負っている訳ではないのですね。しかし、あの高所なのでやっぱりスゴい。
ラマさん
あと、麓のトレッキング時はシェルパが荷物を背負うことはなく、ポーターと呼ばれる人が荷物を運びます。
その重さは、約30キロ以上になることもあるんですよ。
その重さは、約30キロ以上になることもあるんですよ。
ライター吉澤
それは初耳。荷運び専門とはいえ、背負う荷物が30キロとは相当な力持ちですね。
ラマさん
ちなみに私が今まで背負った荷物は、最も重くて33キロくらいです。救護用具や酸素、個人装備などが入っていました。
ライター吉澤
33キロ!やはり、スゴい!
やっぱりトレーニングはハードなの?

ライター吉澤
何歳くらいから、シェルパとして働くのですか?
ラマさん
家が貧しかったりすると、学校へ行かずに10代半ばから働き始める人もいます。
しかし、すぐにはシェルパとして働くことができないので、若いうちから下積み時代を経て、後にシェルパへと成長するのが一般的です。
しかし、すぐにはシェルパとして働くことができないので、若いうちから下積み時代を経て、後にシェルパへと成長するのが一般的です。
ライター吉澤
体力だけでなく、高度な登山技術も必要とされる職業ですもんね。
ラマさん
私は11歳の時にキッチンスタッフとして働き始め、14歳の時にトレッキングの仕事を開始しました。23歳の時に日本隊と共にエベレストに登頂しています。
ライター吉澤
おぉ。ちなみに、一年間で何日くらい山に入っているんですか?
ラマさん
半年以上は、遠征やトレッキングで家にいないことが多いです。
ライター吉澤
日本の登山ガイドや山岳ガイドと似ていますね。
シェルパの強さのヒミツは、やっぱりハードなトレーニングですか?
シェルパの強さのヒミツは、やっぱりハードなトレーニングですか?
ラマさん
クライミングやレスキューのトレーニングは行いますが、特別な筋トレなどは行いません。
多くのシェルパは小さい頃から、山から薪を運ぶ、麓で調達した食料を運ぶなどといった手伝いを家でしているので、自然と体力が身についているのだと思います。
多くのシェルパは小さい頃から、山から薪を運ぶ、麓で調達した食料を運ぶなどといった手伝いを家でしているので、自然と体力が身についているのだと思います。
ライター吉澤
子供の頃から続く私生活が、あの強さを作っているのかもしれませんね。
意外や意外、シェルパでも高山病に?

ライター吉澤
「シェルパでも高山病になる人がいる」という話を耳にしたんですけど、本当なのでしょうか?
ラマさん
なる人もいますね。高所で生まれ育った人は高山病になりにくいですが、標高が低い地域出身の人たちは高所に弱い傾向があると思います。
ライター吉澤
さすがのシェルパでも、高山病に勝てないんですね。
ラマさん
シェルパの多くはエベレストがあるソルクンブ地方や、その隣に位置するロールワリン山群の麓で暮らしています。なかでも最も標高が高い場所は、ソルクンブ地方のゴラクシェプ(約5,000m)。低い地域と言っても、2,000〜2,500mの村に住んでいます。
ライター吉澤
低いと言っても、日本の感覚とはまったく違いますね。
危険な仕事のモチベーションとは?

しかし、シェルパの職場はヒマラヤの山々。死の危険もある厳しい自然環境で働くモチベーションとは、いったいなんなのでしょうか?
常に危険と隣り合わせのシェルパ

ライター吉澤
シェルパの力を借りずにヒマラヤへ登ることは可能ですか?
ラマさん
ヒマラヤ登山に関わらず、トレッキング時でもシェルパとポーターを同行させるよう義務付けられています。国立公園のチェックポストで確認があるため、彼らの同伴をなくして登山することはできません。
ライター吉澤
義務化されているとは知りませんでした。シェルパやポーターの仕事は、国によって守られているのですね。
ラマさん
しかし、山で働いているシェルパの保険が整っていないなどの別の問題を抱えています。
それに、やはり友人が山岳事故で亡くなってしまった時は辛いです。兄弟や友人を山で失った辛さから、シェルパを辞めてしまう人もいます。
それに、やはり友人が山岳事故で亡くなってしまった時は辛いです。兄弟や友人を山で失った辛さから、シェルパを辞めてしまう人もいます。
ライター吉澤
常に危険と隣り合わせの状況で、ゲストの為に働いているのがシェルパなのですね。
ラマさん
私の場合、18歳の時、チベット側からエベレストに登るルート工作中に雪崩が発生し、同じ隊の仲間が目の前で流されて帰らぬ人となってしまいました。さらに、それを助けようとした別の仲間がロープで指を切断してしまったんです。
その時に私は何もできず、ただ現場を見ていることしかできませんでした。仕事を辞めたいと感じた辛い思い出です。
その時に私は何もできず、ただ現場を見ていることしかできませんでした。仕事を辞めたいと感じた辛い思い出です。
一緒に登るゲストによって喜びも違う

ライター吉澤
ラマさんは、そもそも登山は好きですか?
ラマさん
山頂に立った時、その山に登った人だけが見ることのできる素晴らし景色を望むことができます。そんな登山が私は好きです。でも、なかには生活の為に山に登っている人もいますね。
ライター吉澤
過酷な環境での仕事だと思うんですが、シェルパの仕事のやりがいってなんですか?
ラマさん
やっぱり、ゲストを山頂まで案内して喜ぶ姿と見ることですね。同じ山に登ることもありますが、一緒に登るゲストが違うので、その都度の喜びも異なります。
ライター吉澤
ヒマラヤの山々に登る人は、それなりの覚悟を持って挑戦していることが多いはず。そのような人々をサポートできた時の喜びはひとしおでしょうね。
ラマさん
エベレストに登った時、下山中の7,800m付近で目が見えなくなってしまったゲストがいました。6,000mまでは固定したロープにつないで下し、以降は背負ったり肩を貸したりして5,200mのベースキャンプまで帰ってくることができたことが、印象深い思い出として残っていますね。
やっぱり只者ではなかった!ヒマラヤ登山を支えるシェルパ達

ラマ・ゲルさん

長野県大町市にネパールレストラン「ヒマラヤン シェルパ」をオープンさせたり、日本の森林資源の保全活動や子どもたちへ自然の素晴らしさや厳しさを伝える活動も行なっている。
HIMALAYAN SHERPA株式会社 代表取締役、山の日アンバサダー
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