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「健康でいること」は当たり前ですか?

今回ご紹介するのは山のコミュニティサイト「ヤマレコ」ユーザーのひとり、angelinaさん。私たちと同様、登山が大好きな一人の女性です。
北八ヶ岳が大好き。山小屋の手ぬぐいのデザインを手がけたことも

北八ヶ岳が大好き。たくさんの思い出がある山です。
以前2人で登った時、うちの人がサプライズで、朝日と共に誕生日プレゼントを渡そうとしてくれたことがあったんです。でも、吹雪になっちゃって(笑)
秩父の雁坂小屋へも何度も訪れています。山の仲間と一緒にのんびりと贅沢な時間を過ごせる場所。職業がデザイナーなので、小屋の手ぬぐいのデザインをさせていただいたこともあります。
思いがけない宣告

2016年の春ごろから、時折、胸に「細く長い針が貫通していくような痛み」を感じるようになりました。それが、1~2週間に一度ほどだったものが半年後には毎日痛むようになり、病院へ。
でも「痛みがあるならがんではないはず」と思っていたので、最初は内科へ行き心臓検査を行いました。特に異常は見つからず、「もしかして」ということで乳腺科へ。そのまま7時間という長い時間、様々な検査を行ったんです。
そして宣告されたのが「乳がん」でした。
その時点で、押すと「ツー」という痛みを感じる状態。良性のしこりの表面に悪性腫瘍が膜のように覆ってしまい、がんの大きさは8.5cmにもなっていました。
内科から乳腺科の検査にまわった段階で「もしかして?」と感じました。そして、エコー検査を受けた時、技師の人がモニター画像にマークを入れていくのを見て「あぁ、そうなんだ」と。
でもその時は、「最近の医療は優れているし、きっと治療すれば治るだろう」なんて甘く考えていたんです。
「温存や治療での縮小は出来ないのですか?」

「現実との温度差があるようですね。もう、そういう段階はとっくに過ぎていて、がんはかなり大きくなってしまっています。胸もリンパも全摘出で、縮小や温存などの選択肢はありません。骨や臓器への転移も考えられます。」
病院を出た時に見た夕日が、ものすごく綺麗で。病院の前の川につがいのカモが泳いでいました。
うちの人になんて話したらよいのか、母にはなんて話したらよいのか、ただそれだけを考え、しばらくそこから動けませんでした。
「私、がんになっちゃったんだ。」
夕飯の買い物へ行った帰り道。angelinaさんはmasatさんに、乳がんになってしまったことを伝えます。「え!?」
最初はやはり驚きました。たまに胸が痛いとは言っていたのですが、料理上手で食にも気を使っていたので、まさかがんだとは。
でも、すぐに、「なるべく安心して手術や治療を受けてほしい」と思いました。
「もう、山に一緒に行けなくなっちゃうかも…」
弱気なangelinaさんに、masatさんはこう伝えます。
「山より、今は体のことが大事でしょ。」
「死」を身近に感じ、胸をなくすことに深くショックを受けていたangelinaさんは、masatさんのその言葉を聞いてホッとしたそうです。
日本における乳がんの現状

年齢階級別罹患率でみた女性の乳がんは、30歳代から増加をはじめ、40歳代後半から50歳代前半でピークを迎え、その後は次第に減少します。
乳がんが見つかるきっかけとしてはマンモグラフィなどによる乳がん検診を受けて疑いを指摘される場合や、あるいは自分で症状に気付く場合などが多いようです。
自分で気付く症状としては、以下のようなものがあります。
・乳房のしこり
・乳房のエクボなど皮膚の変化
・乳房周辺のリンパ節の腫れ
乳がんは早期発見により適切な治療が行われれば、良好な経過が期待できます。しこりなど自覚症状がある場合は速やかに受診することを勧めますが、無症状の場合でも、乳がん検診により乳がんが見つかることがあります。
14時間にも及ぶ、大がかりな手術

おそらく、がんを告知された方は色々な情報を集めると思います。私もそうでした。これ以上がんを進行させないように、睡眠や冷え、食事に気を使いました。
酵素ジュース、温泉水、人参、にんにく、玄米など、がんに効くといわれている様々な食べ物を揃えました。
「腹部皮弁法」という大きくお腹も切り取る再建手術だったので、体重や脂肪を落とさないようにも気を使いました。
仕事や保険、入院の準備、退院後のことなど、その他色々なことにも時間がかかりました。
「全摘出」と「同時再建」を行う長時間の手術

7時間の予定だった手術は、なんと14時間にも及ぶ長丁場のものに。
全摘出後の再建の中で、血管がなかなか繋がらず時間がかかったようです。
そのせいもあって手術中に一度、意識が戻りました。痛みはなかったのですが、音が聞こえたり、夢を見たり。とても怖かったです。
術後は「歩行リハビリ」からスタート

乳がんで歩行リハビリをするとは思ってもいなかった。だから、自分がまた元のように歩けるのかさえ不安に感じました。
歩く練習と物を握る練習を続け、退院時には歩行器なしで歩けるようになりました。しかし常にテーピングと傷圧迫用腹帯をつけ、腹部の傷が開かないように前かがみでジワジワ歩くような状態だったそうです。
辛い抗がん剤治療

抗がん剤が合わない

病院から脱毛やウィッグの準備については丁寧に説明を受けていたので、事前にショートヘアにしたりウィッグを購入して準備をしていました。
でも、いざ抜け始めるとその脱毛スピードは思った以上に早く、数日でほとんど抜けてひな鳥のような頭になってしまいました。
めまいがひどく、階段から落ちたり、車に引かれそうになったり、さらには駅のホームからも転落してしまいました。
不安でたまらなくなり、抗がん剤予定回数を全て終える前に途中で辞めることにしました。
masatさんはangelinaさんの辛い治療をずっとそばで支えていました。
いつも元気に明るくしていましたが、急なめまいや高熱で倒れることもありました。抗がん剤やその後の服用薬による急な体調変化など、なかなか感じとれない事も多く苦労していると感じていました。
現在は、ホルモン投薬に切り替え、治療を続けています。薬の影響で、手足のしびれやツリ、ホットフラッシュ(急に顔が熱くなったり、汗が止まらなくなる症状)、食後低血圧、更年期障害といった症状と闘っています。数年かけて服用を続けることになっているので、副作用にもうまく付き合っていかなければなりません。
週に2回のリハビリへも通い、徐々に腕も動くようになりましたが、まだ麻痺が残っているためリハビリも継続しています。
「また、山に登りたい」

入院中、雁坂小屋のご夫婦や小屋で知り合った山仲間がお見舞いに来てくれたり、お花を贈ってくれました。ヤマレコの方々からもメッセージをいただき、山で繋がった方たちの笑顔や気持ちがとても励みになりました。
その感謝の気持ちも込めて、「また元気に山へ登れるようになりたい」とangelinaさんは強く思います。担当の先生からも「術後、歩けるようになるまでが早いね」と言われました。これも登山を続けていたおかげかもしれません。
「山に行きたい」その想いが支えに

今までの山を思い出し「元気になって、また、山を歩く」というイメージは、リハビリ中の気持ちの大きな支えです。そして、山の景色や仲間が私を待ってくれている、また、迎え入れてくれるんだ!と思えることが何よりの幸せです。
山をやっていてよかったと心からそう思います。
北八ヶ岳が大好きなangelinaさんとmasatさんは、「車山」と「北横岳の坪庭」を術後はじめての山に決めます。
固い場所で寝ることが難しいため、ホテルで泊まれるところであることと、ロープウェイがあり、アップダウンや危険な箇所が少ない場所であることが決め手となりました。
「生まれて初めて」山を感じたような気持ち

山頂からの景色や風、日差しに「あぁ、これを感じたかった」と思いました。
以前のように軽快に歩くことは出来ないけれど、ゆっくりのんびり山の時間を楽しむこと、また山へ来ることが出来たということに、ただただ、素朴な心で感動していました。
生まれてはじめて山を感じたような気分でした。
「健康な自分」であれば、車山も霧ヶ峰も坪庭も、「登山の通過点」でしかなかったと語るangelinaさん。
歩けるかどうかさえ不安だった自分が、山の空気が吸えていること自体に感動。
百名山じゃなくても、北アルプスじゃなくても、今、どんな山でも、ただ純粋に「山」を歩けることが嬉しいです。
かなり慎重にはなっていましたが、久しぶりに山からの景色を眺め、とても楽しく気持ちよさそうでした。
術後はじめて履く登山靴にもとっても嬉しそうでした。
はじめて気づいた「ゆっくりしか歩けない人もいる」こと

手術した側の腕が上がらないので、登山ウェアを着るのが大変。ザックがどうしても背負えず、ウエストポーチを斜め掛け。薬の副作用で、ホットフラッシュや急なのぼせ、腕の麻痺もあるので、転ばないようにゆっくりと歩く。
急な動きをすることが難しいので、狭い道で人とすれ違う時にとても緊張しました。
一見、闘病中とはわからないので、道を譲られることも多かったのですが、以前のようにササッと避けることができません。
なるべく相手の方にお先に行ってもらうように、人と出会うと立ち止まっていました。多分、トレランの方と多くすれ違うような山は不安過ぎてまだしばらくは無理そうです。
「お先にどうぞ」が伝わるマークを作ろう
今まで通り歩けなくなって初めてわかった「ゆっくり歩いていることを知らせる」必要性。
街では杖をついていれば「足が悪いのかな」とわかりますが、山では元気な人でもストックを持っています。登山ウェアを着てしまえば、治療中だとはわかりません。
「ゆっくり歩いています」ということがわかれば、道を譲る人も、譲られる人も気持ちよく歩けるのではないかとangelinaさんは考え、「ゆっくり山マイマイ」を作りました。

ゆっくり山マイマイ
ゆっくり歩く楽しみが、少しでも多くの人に広まるように

私はこの病気になってから、同じように頑張っている人、山をあきらめかけていた人の声をたくさん知りました。自分のがんでは泣かないようにしていたのに、寄せられたみなさんの闘病記に涙があふれていました。
無理をせず、ゆっくり自分のペースに合った山を楽しむことだって素敵な時間です。私と同じように、病気、治療等で苦しんでいる方に、山をあきらめないで欲しい。
私もがんになる前は、健康な人々の目線で山を歩いていました。けれども、山を愛する人が、もしも命の期限を告知されたら、きっと山へ行くはずです。
だから、私のようにゆっくり歩くことにも一生懸命な登山者が、同じ山にいることをたまに思い出して欲しい。
大きな手術を乗り越え、「山に登りたい」という希望を忘れずに治療とリハビリを続けるangelinaさん。自分のことだけでも大変なのに、病気を持った他の人達のことも考え行動するその優しさと強さ。そのangelinaさんの経験と想いから、私たちが学べることは何でしょうか。
私は現在、自分で登るつもりは全くなかった「がん」という山を歩いています。軽装備でエベレストをアタックしている気分です。とても険しいです。装備も費用も日数も体力も消費は予想以上です。
まだ、この山に直面していない人は、とにかく早めの検診をお勧めしたいです。早期発見であれば、私のように胸を失うことなく、命の危険を感じることもなく、回復出来るからです。「がん」という山へアタックする人が減ることを心から願っております。
angelinaさんの想いに触れ、改めてご自身やご家族の健康について考えるきっかけになった方が少しでもいれば幸いです。そして、「山のマイマイ」に込められた温かい想いが、多くの方に広がりますように。
【ご協力いただいた方】
angelinaさん
masatさん
【参考にしたサイト】
国立がん研究センター がん情報サービス:http://ganjoho.jp/public/index.html
ヤマレコ angelinaさんの日記
・私の癌という山
・お先にどうぞ♪私は山をゆっくり歩いてますのしるしに使ってください
・山のゆっくりマイマイ♪をみなさんに(^^)
ヤマレコ angelinaさん山行記録
記録ID:1269563「車山&坪庭【術後初の登山靴】癌にスマイル!(^_^)/」