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長野県遭難事例と対策(厳冬期 権現岳)

山岳遭難の現場から ~Mountain Rescue File~ No.1

長野県警山岳安全対策課では、実際の遭難事例を掘り下げ、その原因や背景を検証しました。登山中のリスク対策や事前準備の重要性について、事例を参考に考えてみましょう。

目次

山岳遭難事例から学ぶ、登山中のリスク対策と事前準備

令和5年中の長野県内の山岳遭難は、統計史上最多となる302件を記録し、昨年に続いてコロナ禍以後増加傾向にあります。登山は誰もが楽しめるアウトドアレジャーですが、山岳という自然環境で行う活動のため、常に一定のリスクが潜んでいます。

今回は、昨年12月25日に八ヶ岳連峰で発生した遭難を題材に、登山中のリスク対策や事前準備の重要性について皆さんに考えていただきたいと思います。

八ヶ岳連峰にて滑落による遭難が発生。救助要請により県警ヘリで救助

山岳遭難発生場所

▲山岳遭難発生場所(撮影:長野県警察山岳遭難救助隊)

発生日2023年12月25日
発生場所八ヶ岳連峰 権現岳
遭難者(Aさん)24歳男性
概要単独で天女山登山口から入山し、権現岳から赤岳に向けて縦走中、雪が崩れスリップし、滑落、無事救出。自身で救助を要請し、長野県警察のヘリコプターにて救助された。

権現岳を過ぎ、ハシゴの通過時にスリップして滑落

Aさんは、埼玉県在住の24歳の男性で、登山歴は夏山2年程度。今回は、かねてから冬山を登ってみたいと考えていたことから、インターネット等で調べ、八ヶ岳登山を計画しました。

12月24日の深夜に山梨県側の登山口から入山し、三ツ頭を経て、翌25日午前9時頃、権現岳の山頂を過ぎ、長いハシゴの下りで、積雪に足を滑らせて10mほど滑落。幸い怪我はなかったものの、アイゼンを装着しておらず、自身の技量ではその場から登山道に登り返すことができなかったため、110番通報をして、救助要請をしたのです。

滑落現場となった凍り付いたハシゴ

▲滑落現場となった凍り付いたハシゴ(撮影:長野県警察山岳遭難救助隊)

滑落したときの状況についてAさんは、

「ハシゴに雪がついて凍っていたのでハシゴは使用せずにハシゴの横を降りていたところ、足を滑らせて尻餅をついて滑り台を降りるように滑落した」

「10mくらい滑落し、斜度がなだらかになった場所で足で止まった」

と説明していますが、岩の斜面を滑落しながら怪我がなかったことは幸いでした。

聴取途中で音信不通となるが、ヘリで発見、救助

Aさんから110番通報を受け、管轄の茅野警察署はさらに詳しい状況聴取を試みましたが、途中で通話が切れ、以後、Aさんと音信不通となってしまいました。

ただ、Aさんが、110番通報時に自身の現在地の緯度経度を口頭で伝えており、場所についてはおおむね特定できていたことから、位置情報に基づいて県警ヘリによる救助活動を行うこととしました。

Aさんの下へ降下する隊員

▲Aさんのもとへ降下する隊員(撮影:長野県警察山岳遭難救助隊)

午前10時29分、県警ヘリ「やまびこ1号」が現場上空に到着し、登山道から約10m下部の急斜面にいるAさんを確認。斜面から直接のヘリ収容は、足場が不安定だったことから回避し、救助隊員2名をホイスト(※)降下させ、安定した場所まで引き上げてからホイスト収容することになりました。

救助隊員がAさんをロープで安全確保しながら安定した稜線まで移動させ、午前11時57分、無事に機内に収容し、茅野市内のヘリポートへ搬送して救助を完了しました。

※「ホイスト」とは、ヘリに搭載した救助用ウインチ(巻き揚げ機)のこと。救助隊員がワイヤーで降下して、要救助者を吊り上げて救助する方法を「ホイスト救助」と言います

聞き取りから見えてきたことは……

Aさんと合流。無事を確認

▲Aさんと合流。無事を確認(撮影:長野県警察山岳遭難救助隊)

救助完了後にAさんに聞き取りを行ったところ、計画や事前準備段階で多くの問題を抱えていることがわかりました。別の言い方をすれば、入山前に既に遭難しているとも言えるような非常に危うい登山をしている状況が明らかになりました。

しかし、これらはAさんのみの問題ではなく、私たちが接してきた最近の登山者や遭難者に共通する問題とも言える内容でした。

本格的な冬山経験はなし。八ヶ岳を選んだ理由は「天気が安定していそう」だったから

Aさんは、2年くらい前から登山を始め、冬山にも興味が湧き、今回初めて冬山登山を計画しました。

Aさんは、事前にインターネットで冬に登れる山を検索したところ、八ヶ岳の情報が多くヒットし、

「内陸で比較的天候が安定している」
「予定している日の気象予報が良かった」
「アクセスが良い」
「北アルプスは吹雪のイメージがあり厳しい」

と思い、八ヶ岳を選んだとのことです。

確かに八ヶ岳は、アクセスも良く、北アルプスと比べれば冬山の入門的な位置付けとして紹介される山域ですが、冬季は晴れていても西風が強く吹き付けることが多く、稜線付近はマイナス20度近くになることも珍しくありません。

25日当日の稜線は雪で覆われていた

▲25日当日の稜線は雪で覆われていた(撮影:長野県警察山岳遭難救助隊)

今回、Aさんが遭難した権現岳から北側の赤岳等の主稜線は、岩と氷雪のミックスした稜線が続き、アイゼンとピッケルを用いた確実な歩行技術が求められます。Aさんのような冬山初心者が、単独で登るにはかなりリスクの高い状況と言えます。

AさんのようにインターネットやSNSの情報のみを頼りにイメージ先行で登山を計画することは、緻密さが求められる冬山登山にとっては、非常に危うい行為と言えるでしょう。

計画は1日で高見石小屋まで。登山計画書は未作成・未提出

Aさんの計画は、甲斐大泉駅を下車し、山梨県側の天女山登山口から入山後、三ツ頭を経て権現岳、赤岳、硫黄岳等八ヶ岳連峰主稜線を縦走し、高見石小屋に宿泊するというものでした。 

この行程は、無雪期の標準的なコースタイムで約16時間、水平距離は21km、累積標高差は、登り約3400m下り約2300mというかなりボリュームのある内容で、相当山歩きに慣れた健脚者でなければ夏でも歩き通すことは厳しい行程です。

計画の行程

▲Aさんの計画したルート(地図出典:YAMAP、編集:YAMA HACK編集部)

また、このような長い行程を計画するのであれば、予定どおり進めなかったときのエスケープルートの設定や、山小屋の営業状況の確認などが必要ですが、Aさんによれば、

「アクシデントがあった場合は引き返すことしか考えていなかった」

「そもそも途中で別のルートから下山することを考えていなかった」

とのことで、登山計画の立案そのものを見直す必要があると言わざるをえません。

また、今回の計画は、友人に知らせていただけで、家族との共有や計画書の提出はしていなかったとのこと。

今回は、滑落したものの怪我がなく自分で通報ができたため事なきを得たものの、仮に滑落により意識を失ったり、致命的な負傷をして自分で通報ができなかったとしたら、Aさんの発見は相当遅れ、最悪の場合、発見されずに行方不明になっていた可能性もありました。

食料はゼリー飲料2コとチョコバー3本のみ……非常食やバーナーは不携行

Aさんが今回の登山に持参した食料や飲料は、ゼリー飲料2個とチョコバー3本、飲料水はペットボトルに1.5リットルでした。

食料は午前3時頃にほぼ食べ尽くしてしまい、ヘリ収容時にAさんが携帯していたのはチョコバー1本とペットボトルの飲料だけで、しかも寒さで凍って飲めない状態でした。

寒さで凍り付いたペットボトル

▲寒さで凍り付いたペットボトル(撮影:長野県警察山岳遭難救助隊)

Aさんによれば、食料の不足は午前3時頃に自覚していたようですが、

「せっかく来たんだから」
「高見石小屋で食べれば大丈夫」

などと考え、行動を続行したそうです。仮に滑落をせずにそのまま行動を続けたとしても、深刻なカロリー不足や脱水により行動不能となっていた可能性もあります。

今回は、天候が安定していたため早期にヘリで救助できましたが、ヘリによる救助ができなければ地上から救助隊が向かうまでの間、その場でビバークをしなければなりません。Aさんは、エマージェンシーシートは携行していたものの、非常食やバーナー等は携行していませんでした

本格的な冬山登山では、保温ボトルやバーナーは緊急時対策だけでなく行動中の補給という観点からも必要不可欠な装備品と言えるでしょう。

ヘルメットは携行していたものの装着せず

Aさんはハシゴからさらに下方へ滑落した

▲Aさんはハシゴからさらに下方へ滑落した(撮影:長野県警察山岳遭難救助隊)

写真を見てもわかるとおり、現場は非常に傾斜の強い斜面に垂直に近いはしごが設置されていて、長野県側は鋭く切れ落ちています。ここで滑落したにもかかわらず、怪我がなかったことは非常に幸運だったと言えるでしょう。

Aさんはヘルメットを携行していたものの、滑落した際は装着をしていませんでした。滑落中に頭部に外傷を負い、結果としてそれが致命傷となり命を落とすケースは少なくありません。

Aさんのようにヘルメットを携行していながら装着していなかったために頭部を負傷した事案が実際に発生しています。滑落の危険性の高い場所を登山するときは必ずヘルメットを装着しましょう。

アイゼンは未装着。携行していたのは6本爪タイプ

冬の八ヶ岳の稜線は岩と氷雪がミックスし、非常に難度の高いルートになります。Aさんは積雪に足を滑らせていますが、遭難時アイゼンを装着していませんでした

携行していたアイゼンも踵の部分にのみ歯の付いている6本爪タイプで、たとえアイゼンを装着していたとしても現場ではあまり意味をなさなかったでしょう。冬の八ヶ岳の主稜線は、前爪のある10本爪以上のアイゼンが必要です。

アイゼンの爪の本数は色々

▲左上から時計回りにチェーンスパイク・6本爪・12本爪・10本爪(撮影:YAMA HACK編集部)

このような適切な装備品の選択もリスクに備える上で大切なことです。

特にアイゼンやピッケルなど安全に直結する装備品は、専門店で購入し、その使い方についても講習会などを通じて正しい方法をマスターすることが大切です。

地図アプリを活用し、位置情報を正確に伝達。しかし、スマホは充電切れ&モバイルバッテリーは稼働せず

今回は、聴取中に通話が切れてしまい、以後Aさんと連絡することができなくなってしまいましたが、通報の初期段階で自身の正確な緯度経度を伝えていたため、その後の救助活動がスムーズに進みました。

GPS対応のスマートフォンは、地図アプリ等が利用でき、精度の高い位置情報(座標)を確認することができます。いざという時に備え、あらかじめその方法を確かめておくと良いでしょう。

座標の確認(ヤマレコアプリ)

▲例:ヤマレコアプリの場合。登山を開始すると左下に現在位置の経度緯度が表示され、タップして確認できる(作成:YAMA HACK編集部) 

通報途中で通話が切れてしまった原因は、携帯電話(スマートフォン)のバッテリー切れでした。通報時、Aさんの携帯電話のバッテリー残量はわずか3%しかなく、モバイルバッテリーの残量は50%だったそうです。

Aさんは、モバイルバッテリーで充電を試みましたが、接続ジャック部分に雪が入ってしまったせいか、あるいは、バッテリー自体が寒冷環境で容量が低下したためか、電源が復活することはなかったそうです。

携帯電話はいざという時の重要な通信手段です。入山前に携帯電話の充電は満タンにして予備バッテリーを携帯するなどバッテリー対策を万全にしましょう。また、紛失、脱落防止対策も必要です。

まとめ|今回の事例から見えた、登山中のリスク対策と事前準備

登山中のリスク対策》
◆滑落の危険性の高い場所を登山するときは必ずヘルメットを装着する

◆登山道の条件にあった爪(本数・形状)を備えたアイゼンを携行・装着する

事前準備》
◆インターネットやSNSの情報のみを頼りにしたイメージ先行での登山計画を立てるのは危険。自身のレベルや経験を踏まえた山・ルート選びをする。また、予定どおり進めなかったときのエスケープルートの設定や、山小屋の営業状況の確認なども必須

◆登山計画書を作成し、提出する(電子申請システム「コンパス~山と自然ネットワーク」などで申請/登山口のポストへ投函/計画する山域を管轄する警察署へ郵送やFAX、専用メールを送る)。また、登山計画書を家族や知人にも共有する

◆登山計画を踏まえた食料・飲料の準備や、適切な装備品の選択をする。また、アイゼンやピッケル等の安全に直結する装備の使い方についても講習会などを通じて正しい方法をマスターする

◆本格的な冬山登山では、飲料が凍ってしまうことも。保温ボトルやバーナーは緊急時対策だけでなく、行動中の補給という観点からも必要不可欠

◆自身が使用している地図アプリ等での現在位置(座標)の確認方法を事前にチェックしておく

◆スマートフォンの充電は満タンにし、予備バッテリーを携帯するなど、バッテリー対策を万全にする

遭難のリスクは誰にでも

遭難の多くは登山者側の不注意やミスにより発生していますが、ヒューマンエラーはゼロにはできませんし、登山をする以上、遭難のリスクは誰にでもあります。

そのようなリスクをリアリティーを持って自分事として想像し、できる対策を講じた上で入山するか、あるいは、全くリスクに無頓着のまま対策もなく入山するかによって、いざアクシデントに遭遇した際、その後の対処には大きな差が生じます。

多くの遭難事例を目にしている我々から言わせていただければ、その差が「生死の分かれ目」となる場合もあります。

みなさんも今一度、自分自身の登山を振り返り「安全で楽しい登山」の実践をお願いします。