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日本三霊山|日本有数のパワースポット!知られざる背景に迫る(2ページ目)

日本三霊山②立山

北アルプス北部に位置し、日本有数の豪雪地帯に聳える立山もまた、日本を代表する霊山の一つです。古代より神々が宿る山として山岳信仰の対象となっていた立山。女神が宿るとされる富士山とは違い、立山をご神体として山頂に本社を戴く雄山神社の名の通り、男性の神が宿っているとされる霊山です。

勇敢な男性の神が宿る立山

雄山神社(雄山山頂)
出典:PIXTA

雄山神社が祀っている神は、イザナギとアメノタヂカラオの2柱。どちらも男神です。しかし、立山に対する信仰は仏教と深く関わりながら変遷してきた歴史があるので、阿弥陀如来を本地仏とする神仏習合色も見られます。

※本地仏とは、日本の八百万の神々は様々な仏の化身として現れているものだとする本地垂迹という神仏習合の考えから生まれる概念です。

立山
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古くから山岳信仰がありましたが、飛鳥時代末期の701年、山に入った佐伯有頼が阿弥陀如来に出会い導かれて立山を開山したことが、信仰がしっかりと形作られる起点となりました。

仏教が発展した平安時代には阿弥陀如来の極楽浄土の思想や地獄思想、日本古来からの山中他界の思想が合わさり、日本中の死者は立山に集まるという「立山地獄」の観念ができあがりました。

麓には信仰の拠点となる寺社が建立され、神仏習合の立山信仰が発展していきます。室町から江戸時代の近世になると、穢れの浄化や死後の極楽を願って、修験者以外の一般人も登拝するようになり、一大霊場として多くの人々が集まるようになりました。

布橋灌頂会・布橋を渡る女性たち
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立山信仰には、神仏習合色が強いという特徴の他にもう一つ大きな特徴である「女人往生」があります。

明治以前は立山をはじめとする霊山は女性が立ち入ることのできない女人禁制でした。その一方で、15世紀頃からは立山信仰の中に女人救済の思想が広まり、立山信仰の中核を担うようになるほどまでに成長。女人禁制によって登拝できない女性のために、「布橋灌頂会」といった儀式も行われるようになっていきました。

白装束の女性が白い布の敷かれた橋を渡って極楽往生を願う、この布橋灌頂会は、明治の廃仏毀釈で一度は廃れたものの、1996年に130年ぶりに復活を遂げて現代に息づいています。

阿弥陀様は熊?白鷹?玉殿岩屋

立山山頂から見る雄山神社社務所
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立山信仰が形作られた立山開山については、「立山開山縁起」と呼ばれる開山の経緯を記したものがあります。それによれば、飛鳥時代、越中国守の息子である佐伯有頼は、鷹狩りの最中に出会った熊に矢を射ましたが、熊は逃げてしまい、逃げた熊を追いかけて辿り着いた洞窟で矢の刺さった阿弥陀如来と出会います。

立山開山のために導いたと阿弥陀如来に伝えられた有頼は、僧侶となって立山開山に尽力することとなりました。この有頼が阿弥陀如来と出会った洞窟「玉殿岩屋」は、立山信仰一番の聖地として大切にされています。

日本三霊山③白山

富士山、立山と並び、日本三霊山に数えられる白山は、女性を象徴する霊山です。白山は、最高峰の御前峰・大汝峰・剣ヶ峰という主頂部となる三峰に、別山・三ノ峰を合わせて白山五峰と呼ばれています。

水や農業の神様・白山

柴山潟と白山連峰
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御前峰・大汝峰・別山はそれぞれ川の源流を持ち、加賀・越前・美濃の三方へ流れています。人々の生活や農事は白山から流れる川により支えられており、人々が抱くこの豊かな水源による水の恵みへの感謝や山への畏怖が白山信仰を育んできました。

白山に宿るとされる神は、白山比咩(しらやまひめ)大神という女神で、日本神話の神である菊理媛神(ククリヒメのカミ)と同一神であるとされています。

白山信仰の修験者
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古来より山岳信仰として人々から信仰されていましたが、現代へと続く白山信仰を形作ったのは奈良時代の泰澄という修験道の僧です。717年に泰澄が初めて白山へ登拝し、白山明神・妙理大菩薩による啓示を受けたことが始まりとされています。

白山平泉寺
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泰澄による開山の後、平安時代には加賀・越前・美濃それぞれの馬場(信仰の拠点)から禅定道(登拝道)が設けられ、各馬場は白山寺(加賀)・平泉寺(越前)・長滝寺(美濃)となってそれぞれ独自の信仰圏を確立していきます。立山のように神仏習合色の強い信仰となっていきました。

白山比咩神社
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中世には加賀を中心に白山修験が隆盛し、特に泰澄伝承ゆかりの越前の平泉寺は比叡山延暦寺の末寺に加わり、僧兵8,000名を抱えるほどまでになって北陸での一大宗教勢力となったと伝わっています。

明治以降は神仏分離と廃仏毀釈によって修験道に基づいた信仰は廃れ、三つの寺も廃寺や改組、分離の波に揉まれます。かつての白山寺が現在の白山比咩神社で白山信仰の総本社とされ、全国には3,900を超す分社があります。

白山山頂の奥宮

白山比咩神社の奥宮
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全国に広がる白山神社の総本社、白山比咩神社。主祭神は菊理媛神と同一神とされる白山比咩大神をはじめ、イザナギ、イザナミの3柱です。白山山麓に神社の本宮があり、47000平方メートルもの広大な境内を抱えています。白山の御前峰山頂には、泰澄が啓示を受けた翌年に創建された奥宮があります。

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