昔話でおなじみの金太郎。赤いひし形の前掛けに斧を担いだ少年の姿は、現在でも五月人形のモチーフとして、強い男の子の象徴となっています。そんな金太郎、実は今からおよそ1000年前に、源頼光の下で活躍した「坂田金時(さかたのきんとき)」の幼名だとされています。そしてその縁の地が、足柄山地の金時山(きんときやま)と言われています。
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金時山の麓で生まれた金太郎は、幼いころから力持ち。山中で動物たちと共に過ごし、熊と相撲をとっては見事に打ち負かしていました。気は優しくて力持ちの金太郎は、ある時に足柄峠に差し掛かった源頼光と出会い、その能力を見出されます。この時から「坂田金時」と名前を変え、京都に上って「頼光四天王」の一人に。都で悪さをしていた「酒吞童子(しゅてんどうじ)」という鬼を退治するなど、妖怪退治に大活躍したそうです。
徳川埋蔵金伝説はどうなった!?<赤城山>
都市伝説の定番とも言える「徳川埋蔵金伝説」。その知名度の高さはもちろん、事実と都市伝説の境界がはっきりしないミステリアスな言説は、未だに多くの人々を惹きつけています。
当時、財政難だった明治政府は、幕府側が財宝をどこかに隠したと判断し、それを機に埋蔵金探しが始まりました。しかし、城内の金蔵を調べるも、期待していた江戸幕府御用金はどこにも見当たりませんでした・・・
果たしてどこに隠したのか?その候補地として、群馬県の赤城山(あかぎやま)が有力視されてきました。
江戸城開城の当時、幕府の勘定奉行だった小栗忠順(おぐりただまさ)の領地内にあった山が赤城山。「利根川を遡って来た船から誰かが何かを赤城山中へ運び込むのを見た」という伝聞等が発端とされています。
中には、先祖代々で埋蔵金を探し続ける人が出てきたり。TV番組で発掘作業が行われています。
これまで数多くの人々が発掘作業を行ってきましたが、未だに発見には至っていません。
現在でも、「山麓の寺から謎の文字が彫られた銅版が見つかった!」だとか、「その内容が解読された!」「その証拠の黄金像が見つかった!」など、真偽不明の噂が飛び交っています。
そんな彼らが本当に追い求めているのは、実はロマン以外の何物ではないのかもしれません・・・!