【クラシックルートってなに?】 歴史を辿る、今こそ歩きたいクラシックルート7選

『クラシックルート』という言葉を聞いたり、目にしたことはありますか? 「今日の山行はクラシックルートで登ってきた!」なんて話が、登山仲間の中で出たことがあるかもしれません。『クラシックルート』という名前のルートがある訳ではないけれど、いったいどんなルートのことを指すのでしょうか。分かるようでハッキリとは分からない、そんな『クラシックルート』について、代表ルートと共に見てみましょう。


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【素朴な疑問】クラシックルートってどんなルート?

皇海山 出典:PIXTA
「今日はクラシックルートで○○山に登ってきた!」なんていう話を聞いたり、山行記録を目にしたことはありませんか? クラシックルートって、名前からしてなんだか古めかしいイメージはありますが、いったいどんなルートなのでしょうか。実は、クラシックルートと呼ばれる所以を知らない人も多いかも!?

クラシックルートは生活道!?

徳本峠 出典:PIXTA
クラシックルートとは、その名の通り古くから使われてきた道のことを指します。そのほとんどは、本来は登山道としての役割で作られたのではなく、生活道として開拓された道。今では、多くの登山者が山頂を目指す登山道として使っていますが、もともとは歴史の教科書に登場するような人物が敵から逃れるために使った道であったり、地元の人の生活を支える生活路だったりするんです。また、登山道として古くから使われている有名なルートや地元で定番のルートをクラシックルートと呼ぶ場合もあります。

何百年も前の人が通った道なんて、いったいどんなルートなのか気になりませんか? 

歴史に思いを馳せて。代表的なクラシックルート7選

徳本峠 出典:PIXTA
「この山は、一度登ってしまったからもういいかな。」そんなことを言わず二度目はクラシックルートで歴史に思いを馳せながら…なんていう趣向はいかがでしょうか。きっと、違った山の表情を見ることができるはずです。それでは、YAMA HACK精選のクラシックルートをご紹介!

徳本峠越え

徳本峠 主なルート:島々~二俣~徳本峠~上高地

松本市、野麦街道沿いの集落「島々(しましま)」から、徳本峠(とくごうとうげ)を経由し上高地を結ぶルートです。昭和8年に窯トンネルが竣工するまで上高地への主要アクセスで、近代登山を日本に伝承したウォルター・ウェストンもこのルートを経由し上高地へと至りました。

また、この道は昔より越中まで続く街道の一部と伝えられ、戦国時代にこの地方を治めていた三木秀綱が戦に敗れ、敗走の途上で細君ともども討たれた場所として、その歴史を伝える石碑が島々からほど近い道中に立っています。


ザラ峠越え

ザラ峠 主なルート(さらさら越えルート):常願寺川~立山温泉~ザラ峠~中ノ谷~刈安峠~黒部川の平~針ノ木谷~針ノ木峠~籠川谷

ザラ峠は越中(富山県)と信濃(長野県)を結ぶ古道で、最高地点は獅子岳と五色ヶ原との鞍部にあたる標高2,342m。現在では立山黒部アルペンルートがこれに替わります。

戦国時代の武将・佐々成正が、豊臣秀吉討伐を勧めるために、厳冬期のザラ峠を越えて浜松の徳川家康の元へ参じた史実が「さらさら越え」として今でも歴史ファンの胸を熱くします。400年以上も前に、厳寒の北アルプスの峠を越えたとは驚愕ですね。

大東新道

大東新道 主なルート:折立~高天原峠~雲ノ平

富山県折立から高山植物の宝庫「雲ノ平」や日本最奥の秘湯で知られる「高天ヶ原」を結ぶ登山道が大東新道です。1930年、高天ヶ原の温泉付近にレアメタルの一種モリブデンの鉱床が発見され、多くの技師や作業員が折立と高天ヶ原を行き来していました。大東新道は鉱山が閉山した後、登山者のため黒部川に沿って作られたルートです。

東海新道のように「新道」とつく道は、どれも後に作られたルート。もともとの道が不便であったため、ショートカット的な役割で作られていたりします。また、ヘリコプターがなかった時代に、山小屋へ荷揚げするために1番近い道として、山小屋の方が拓いたところが多いようです。

将棊頭山~木曽駒ケ岳

遭難の碑 木曽駒 主なルート:桂木場~西駒山荘~将棊頭山~馬ノ背~木曽駒ヶ岳

中央アルプスの盟主木曽駒ケ岳は頂上付近までロープウェイでアクセスできる比較的に手軽に登れる山。桂小場からスタートし将棊頭山を経て木曽駒ケ岳に至るこのロングコースは、ロープウェイが架設される以前の主要な登山道でした。

大正2年、この登山道で教員と生徒11人が死亡する登山史に残る遭難事故があり、将棊頭山の山頂直下にはその記念碑が遺されています。事故は山岳小説の大家・新田次郎により「聖職の碑(いしぶみ)」という小説となり、その後、鶴田浩二主演で映画化もされました。


金山鉱泉~雁ヶ腹摺山

富士山 雁ヶ腹摺山 主なルート:金山鉱泉~金山峠~百間干場~雁ヶ腹摺山

都心からもアクセス良好な山梨県大月市の雁ヶ腹摺山。この山の頂上から展望する富士山は旧五百円札の富士山肖像画のモデルとなりました。

金山鉱泉からスタートするこのルートは、かつては主要な登山道したが、大峠から1時間程度で登れる登山道ができてからは、利用者はあまり多くないようです。しかし、登山口にある創業明治35年の金山温泉・山口館で下山後の汗を流すことを楽しみに訪れる登山客は少なくありません。


銀山平~皇海山

皇海山 主なルート:銀山平~庚申山~鋸山11峰~皇海山

群馬県と栃木県の県境に位置する標高2,144mの皇海山(すかいさん)。皇海山をはじめ庚申山などの足尾山地の山々は、奈良~平安時代の僧・勝道の弟子によって開山され、山岳仏教の修行地になったと言われています。

栃木県側の庚申山から鋸山を経て皇海山へと至るコースは「三山駆け」と呼ばれ、そんな山岳信仰の修行の道。江戸時代には多くの修験者が、岩稜や痩せ尾根が続く難路を行き交っていました。


北鎌尾根

北鎌尾根
出典:PIXTA
主なルート:上高地~槍沢大曲り~水俣乗越~北鎌沢出合~北鎌のコル~北鎌独標~北鎌平~槍ヶ岳

日本アルピニズム発祥の地・北アルプス南部のシンボル的存在が槍ヶ岳です。ピラミッドのような山頂からは多くの稜線が伸びています。その1つである北鎌尾根は、一般登山道ではなく非常に高い登攀能力が必要なバリエーションルート。非常に危険なルートでありながら、難関を攻略したい多くのアルピニストを惹きつけています。登山道という意味での本当のクラシックルートといえば、ずばり北鎌尾根でしょう。

小説「孤高の人」の主人公のモデルとして知られる戦前の登山家・加藤文太郎は、この北鎌尾根で猛烈な吹雪に襲われ30歳の生涯を閉じました。また、登山家・松波明も厳冬期の北鎌尾根にて仲間と共に遭難し、遺体が収容されています。


日本の長い登山史、その証がクラシックルート

雄大な景観や美しい草木、そして野生動物など、登山は自然を楽しむもので、文化的なものや人の営みからは距離を置いた行いと思いがちです。しかし登山そのもが長い歴史を持つ人の営みであり、クラシックルートはその証でもあります。知的好奇心を満たしながら汗を流すクラシックルートをあなたも楽しんでみてはいかがでしょうか。


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北鎌尾根を行く登山者
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