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【クラシックルートってなに?】 歴史を辿る、今こそ歩きたいクラシックルート7選(2ページ目)

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歴史に思いを馳せて。代表的なクラシックルート7選

徳本峠
出典:PIXTA

「この山は、一度登ってしまったからもういいかな。」そんなことを言わず二度目はクラシックルートで歴史に思いを馳せながら…なんていう趣向はいかがでしょうか。きっと、違った山の表情を見ることができるはずです。それでは、YAMA HACK精選のクラシックルートをご紹介!

徳本峠越え

徳本峠

主なルート:島々~二俣~徳本峠~上高地

松本市、野麦街道沿いの集落「島々(しましま)」から、徳本峠(とくごうとうげ)を経由し上高地を結ぶルートです。昭和8年に窯トンネルが竣工するまで上高地への主要アクセスで、近代登山を日本に伝承したウォルター・ウェストンもこのルートを経由し上高地へと至りました。

また、この道は昔より越中まで続く街道の一部と伝えられ、戦国時代にこの地方を治めていた三木秀綱が戦に敗れ、敗走の途上で細君ともども討たれた場所として、その歴史を伝える石碑が島々からほど近い道中に立っています。

ザラ峠越え

ザラ峠

主なルート(さらさら越えルート):常願寺川~立山温泉~ザラ峠~中ノ谷~刈安峠~黒部川の平~針ノ木谷~針ノ木峠~籠川谷

ザラ峠は越中(富山県)と信濃(長野県)を結ぶ古道で、最高地点は獅子岳と五色ヶ原との鞍部にあたる標高2,342m。現在では立山黒部アルペンルートがこれに替わります。

戦国時代の武将・佐々成正が、豊臣秀吉討伐を勧めるために、厳冬期のザラ峠を越えて浜松の徳川家康の元へ参じた史実が「さらさら越え」として今でも歴史ファンの胸を熱くします。400年以上も前に、厳寒の北アルプスの峠を越えたとは驚愕ですね。

大東新道

大東新道

主なルート:折立~高天原峠~雲ノ平

富山県折立から高山植物の宝庫「雲ノ平」や日本最奥の秘湯で知られる「高天ヶ原」を結ぶ登山道が大東新道です。1930年、高天ヶ原の温泉付近にレアメタルの一種モリブデンの鉱床が発見され、多くの技師や作業員が折立と高天ヶ原を行き来していました。大東新道は鉱山が閉山した後、登山者のため黒部川に沿って作られたルートです。

東海新道のように「新道」とつく道は、どれも後に作られたルート。もともとの道が不便であったため、ショートカット的な役割で作られていたりします。また、ヘリコプターがなかった時代に、山小屋へ荷揚げするために1番近い道として、山小屋の方が拓いたところが多いようです。

将棊頭山~木曽駒ケ岳

遭難の碑 木曽駒

主なルート:桂木場~西駒山荘~将棊頭山~馬ノ背~木曽駒ヶ岳

中央アルプスの盟主木曽駒ケ岳は頂上付近までロープウェイでアクセスできる比較的に手軽に登れる山。桂小場からスタートし将棊頭山を経て木曽駒ケ岳に至るこのロングコースは、ロープウェイが架設される以前の主要な登山道でした。

大正2年、この登山道で教員と生徒11人が死亡する登山史に残る遭難事故があり、将棊頭山の山頂直下にはその記念碑が遺されています。事故は山岳小説の大家・新田次郎により「聖職の碑(いしぶみ)」という小説となり、その後、鶴田浩二主演で映画化もされました。

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