※記事内のクレジット表記のない写真はすべて鈴木千花撮影
「御師の家」に泊まるという特別な体験
富士山を楽しむ方法は、山頂を目指すことだけではありません。
“富士山をまるごと楽しむ旅”をテーマに、富士山麓を歩きながら歴史や信仰に触れた1泊2日の旅。そのなかで出会ったのが、富士吉田市上吉田エリアに佇む御師の家をリノベーションした宿『大鴈丸 fugaku×hitsuki(おおがんまる ふがく×ひつき)』でした。

ところで、「御師(おし)」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。
御師とは、富士山信仰のために全国から訪れる人々を迎え入れ、登拝の世話をする一方で祈祷も行う神職のような役割を担っていた人たちのこと。
江戸時代、人々は「富士講」と呼ばれる信仰の集まりをつくり、一生に一度の大切な行事として富士山を目指しました。そして登拝の前には御師の家に泊まり、身を清めてから山へ向かったのだそうです。
つまり、『大鴈丸 fugaku×hitsuki』は単なる宿ではなく、富士山信仰を支えてきた舞台のひとつ。
そんな場所に実際に泊まれると聞いたら、ちょっと気になりませんか?
富士講って何?御師の役割とは?

江戸時代において、富士山は今とはまったく違う意味を持つ場所でした。神が宿る山として崇められ、人々の厚い信仰を集めていたのです。
富士山に登ることは、単なる登山ではなく信仰の行為。その信仰はやがて「富士講(ふじこう)」と呼ばれる組織へと発展し、多くの人々が仲間とともに富士登拝を目指しました。
富士講とは、江戸時代に全国へ広がった富士山信仰の団体です。人々は「講」と呼ばれる組織をつくり、お金を積み立てて富士登拝を目指しました。当時の登拝費用は現在の価値で約10~20万円ともいわれ、人生の一大イベント。講の仲間たちは代表者を富士山へ送り出し、登れない人もその登拝に願いを託しました。

こうした富士講の活動を支えたのが、登拝者を山頂まで導くリーダー的存在の「先達(せんだつ)」と、宿泊や祈祷を担う「御師(おし)」です。
なかでも御師は、自宅に全国から訪れる登拝者を迎え入れ、信仰の旅を支える重要な役割を担っていました。
御師の家は、北口本宮冨士浅間神社へとつながる本町通り沿いに並ぶ宿坊のような存在。登拝者たちはここで身を清め、祈りを捧げてから富士山へ向かったといいます。
最盛期には86軒を数えた御師宿坊。しかし、富士スバルラインの開通など時代の変化とともにその数は減少し、現在建物が残るのは約14軒。宿泊できるのは、わずか4軒のみです。
実際に泊まって感じた『大鴈丸 fugaku×hitsuki』の魅力

大鴈丸家は、上吉田の町が成立した1572年から続く御師の家系。18代目当主の夫妻が、歴史ある建物を宿としてよみがえらせたのが『大鴈丸 fugaku×hitsuki』です。2024年には登録有形文化財にも登録されています。
