街の山道具店ができるまで ナチュラルアンカーズ店主日記

店のあり方を考えるということ

第2回

長野市にあるアウトドアセレクトショップ「NATURAL ANCHORS(ナチュラルアンカーズ)」。
コアなファンも多いこの店が、開店6年目となる2020年春に新しい仲間と新しい試みへと一歩踏み出すこととなった。「ローカルの街で山道具店を営む」ということについて、店主・戸谷 悠がこれまでの5年間を振り返り、思索しながら次のステップを迎えるまでを日記で綴る。

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移転へと繋がるきっかけ

松本市にある「amijok」へ行くと、いつも暖かい笑顔で出迎えてくれる

2018年1月某日(過去の回想)

そんなことをしばらく考える日々が続いていたある日、以前より交流があったある人物を通して「会わせたい人がいる」と連絡があった。一緒にお店へやってきたのは、長野県松本市で「cafe amijok」を営む小島 剛くん。彼がまさかこんなカタチで登場するとは考えてもいなかった。思いがけないお客さんだ。だけどとてもうれしい再会だった。

彼とはじめて会ったのは、おそらく2015年の秋。
同じ善光寺門前界隈でお店をやっている(というよりは大先輩の)「1166バックパッカーズ」のオーナー飯室織絵さんに声をかけてもらい、長野県内でお店をやっている個人事業主たち(馴染みの人もはじめましての人も)で、まるっと集まる合宿のようなものに参加した。

集まった場所は長野県小谷村、その中でも最北端にある大網(おおあみ)集落にある「つちのいえ」という場所だ。運営するのは「くらして」というコミュニティで、地域に移住して根を張り、知識や伝統・技術を次に繋げる活動をしている。彼らも偶然だが同世代だった。

「つちのいえ」での集いでは、美味しいお酒も入り、みんなが打ち解けるまで時間がかかるはずがなかった。メンバーは飲食業・宿業・小売業・ミュージシャン・カメラマン……などジャンルも幅広く、お互いの生活や夫婦家族のこと、経営のこと、自然やアウトドアについてなどについてたくさん話し、大自然のなかで遊びつくした2日間だった。色々な話をする中、そこで小島くんが長野市の出身だということを知った。

その後はお互いが忙しく、頻繁には交流できなかったが、松本に行けば彼の店に立寄って珈琲飲みながら、たわいもない話をしたり、その逆に彼らが自分たちの店へ訪ねてきてくれたり、イベントでも顔を合わせたりしていた。

「つちのいえ」での合宿(?)の様子

その「amijok」の小島くんが、再会とともに話してくれた思い。

「自分が生まれ育った長野市で、さまざまな情報発信ができて、たくさんの人が集まり楽しく行き交える、複合的でHUBのような場所をつくりたいと思っていて」

また同時に、
「そこにアウトドアの要素があることがイメージとしてあるのだけど、よかったら一緒にやってみないかな?」と声をかけてくれた。

その瞬間、いま自分の中で悶々と考えてきた「アウトドアをこれから始めてみたい人へ、この半クローズドの環境をどう変化させていくか」「長野の街から山へとフィールドを繋げていくには、もう少し大きく捉えていく時期ではないか」という、これらの疑問に対する答えのように思えた。

これは同時に「店の場所を移す」ことを意味するが、「大きく実現できることがきっとある」と確信した。自分の気持ちは迷うことなく「やってみたい」だった。

なぜロッククライミングなのかを振り返る

岩場で利用するクライミングロープは60mもの長さがある

2018年1月某日(過去の回想)

思いがけないところから図らずも舞い降りてきたお誘いに対する、この「やってみたい」という気持ちが「移転を考えるキッカケ」になった。

こうなると、自分の歩んできた道も顧みたくなる。

店としてももちろんだが、「場」としてこれから大きな展開を迎えていくこと、大きな活動体(少なくともいままでよりは)となっていくことが予想できる。その流れのなかで、今後もしも迷いがでたときに立ち返ることができるよう、いままでの自分と向き合う必要がある。

どうしてここまできたのか。そしてなぜ自分はこんなにも自然やクライミングと関わるようになったのか。

小学校時代は、よく高熱を出して学校を休むことの多い、いわゆる「身体の弱い子」だった。それは、おそらく生まれ持った心臓疾患のせいもあったが、その後に成長してからも自分はいたってピンピンしていたのにもかかわらず、疾患のおかげで運動系部活には入れず、中学時代は帰宅部、高校時代は吹奏楽部と、いま思えばまったくといっていいほど「アウトドア」とはほぼ無縁の生活。強いて言えば、小学生のころに叔父と従兄弟と常念岳へ、そして従兄弟と高校時代に白馬縦走をしたくらいだ。

それが大学に入り、あまりにもヒマだからと、たまたま写真か何かでみたロッククライミングがふと気になり調べてみると、意外にも近くにクライミングジム「RUNOUT」があることがわかった。

一度訪れて体験してみると、思うように登れないのとパズル的要素の面白さにどハマりし、次に行くときにはもうクライミングシューズを買っていた。そのころには運動も人並みにできる身体となっていたことも幸いした。

当時(2001年ごろ)はまだいまのようにロッククライミングはメジャーなスポーツではなかったが、「RUNOUT」のオーナーは国内外の大会を転戦するトップアスリートで、他にも野獣のように登る(言い過ぎか)おそろしく強い人たちがたくさんいた。そんな人たちと身近に過ごせたのは、学生だった自分に「ジムのお店番してくれていたら、登ってもいいよ」と声をかけてもらったからだ。良いも悪いも、あれが道を踏み外した第一歩だった……(声がけに弱いのである)。

クライミング・バム生活の始まり

クラッククライミングのためのテーピング

2018年1月某日(過去の回想)

はじめは週1〜2日のジム通いが、段々と3〜4日に代わり、最終的には5〜6日で通うという絵に描いたような生活になっていった。理系の大学だったが、4年生の研究室に入るころには実績もないのに「卒業後はロッククライミングで食べていく!」と宣言し、まわりは一生懸命に就職活動と卒業研究をするなかで、いっさい就職活動もしなかった。まだまだ若かったなぁ……。

卒業後すぐに、少しでも結果を出すためにカナダに渡り、クライミングのメッカでもあるスコーミッシュで本格的に岩との生活が始まった。3日登っては2日休み、2日行っては1日休みと、俗にいう「バム生活」なるものを送っていた。

そこではロープクライミングからボルダリング、休みの日も山に行き登りたいルートを下見したり、頭の中は登ること一色だった。そんな環境に身をおいていたからか、「アウトドアをするぞ!」と思ったことや誰かにルールなどを意識的に教わったことは一度もなかった。だが自然のみの環境下で過ごす時間が多くなることで、自分の中で自然との向き合い方や関わり方も身についていったように思う。

約10カ月ほどの初の海外生活。ほとんどの時間を岩と向き合えて自由な反面、時として大変なこともあった(車を事故って廃車にしたり、岩ばかりの生活でもお金は徐々に底を尽きてくる……)。けれど、日本という国を勢いで飛び出し、はじめてのだらけの環境のなか、明らかに世界観は変わったし、経験として培ったものはとても多かったと感じている。

カナダ・スコーミッシュにて

帰国、そして新たな刺激を受ける

カナダの次に向かったのは、ニュージーランド

カナダからの帰国後だったか(覚えが曖昧だが)、学生時代にお世話になっていた「RUNOUT」がリニューアルオープンをすることとなり、その立ち上げのお手伝いをさせてもらえることになった。

大工さんがつくったクライミングウォールへのペンキ塗りからウォール裏側での諸作業、ルートセットなど、自分が登りたい壁をつくることはとても楽しかった。そして、このタイミングでクライミングジムをつくる手伝いができたこと、そこからのご縁でさまざまな場所でのクライミングウォールのメンテナンスや他のジムでのルートセット、幼稚園施設などへのクライミングウォール設置など、クライミングに関してできることは何でもやらせてもらった。このことはいまでもいい経験となっている。

そして、勝手にずーっとお師匠だと思っている人のひとりにSさんがいる。リニューアルオープンより常駐スタッフとして働いていたSさんは、のちに当時のジャパンカップ(ルートコンペティションの日本ツアー戦)の年間タイトルホルダーとなる実力者。そんな人の登りを身近で見ていたら、自分も登れるような気になってくるわけで、さらなる刺激を受け、結果を出すためにまた新しい場所でのクライミング・バム生活に戻りたくなってきていた。

次に目を向けたのはニュージーランド。きっかけは、当時よくDVDで観ていたアメリカのプロクライマーのChris Omprakash Sharma(クリス・シャーマ)。彼のクライミング・トリップで登場した場所があった。そこへ行ってみたい。そんな気持ちで行き先は決まった。

戸谷 悠

戸谷 悠 Yu Toya

1979年 長野県長野市生まれ。大学在学中にロッククライミングに傾倒。卒業後、カナダとニュージーランドに渡りほぼ毎日、岩と向き合う。帰国後8年の会社員生活を経てアウトドアシーンと自然を繋ぐ拠点をつくりたいと、2015年にアウトドアセレクトショップ「NATURAL ANCHORS」オープン。
HP: http://www.naturalanchors.com/
instagram: naturalanchors

text & photo: Yu Toya
edit: Rie Muraoka(YAMA HACK)

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