ワシントンは、高山帯が特徴的なセクション。標高は2,000m前後だが、高度感を感じる山々が続く。スタート前に日本で下調べをしていた頃は、アメリカのトレイルは日本の山に比べてフラットな印象があったけれど、そんなことはなかった。
川で体を洗い流す僕
このセクションの山々は日本アルプスに似ていて、特に急登や急下降が多かった。高山地帯の山奥には澄んだ透明の湖や河川が多く、そのどれもが幻想的で美しい。
海外ハイカーたちは湖を見つけるなり、たっぷりと休憩をとったり、裸になって泳いだりしていたけど、僕は泳ぎが苦手だから足のつく浅いところを見つけて汚れた体を洗い流していた。次の旅までに泳げるようになっておきたいものだ。
アイスの容器を使ってコールドソーキング
南カリフォルニアでお湯を沸かすストーブとクッカーを手放して以来、食事はトルティーヤとドライマッシュポテトばかり食べていた。
この頃、僕はとうとう味に飽きてコールドソーキングを始めた。
コールドソーキングとは、お湯を使わず水でインスタントラーメン等の乾燥した食材をふやかして調理することだ。味はまずまずで悪くない。
こうして僕は見事に食事のバリエーションを増やすことに成功したのだった。
ゴートロックス
ハイカーで賑わうゴートロックス
ワシントンセクションを歩く前から「ゴートロックスはおすすめだ」とハイカーや現地人から聞かされていた。ゴートロックスとは、ワシントン州にある溶岩ドームのこと。標高は2,000m程と特別高いわけではないけれど、まるで3,000m級の場所に立っているかのような高度感を味わえる。
高山地帯でなくてもこの景色が見られるのは嬉しい。アプローチも簡単なため、子どもや犬を連れた日帰りハイカーも多く、山頂は多くの人で賑わっていた。
雨上がりの休日
ワシントンアルパインクラブでの夕食
ザーザーと強い雨が降るなか、トレイルを歩いていた。街から街までの数日間雨が続くのは、この旅で初めてだった。
衣類や装備が濡れてしまったため体力の消耗が著しく、夜は冷えてよく眠れない。手持ちの食料がなくなりフラつきながらも歩き続けた。
やっとのことでトレイルを抜けると、スキー場が現れた。雪の無いまっさらなスキー場のリフト下を走って下りる。
僕は、次のリサプライ地点であるSnoqualmie Passという街へたどり着いた。走った勢いのままピザ屋へ駆け込み、Lサイズのホールピザを胃袋へ流し込む。そのまま先のトレイルへ進もうと考えていたけれど、雨も降っているし登山口近くにあるワシントンアルパインクラブという山小屋のようなモーテルでゆっくりと休むことにした。
大量の洗濯がもはや芸術的
他のハイカーたちも雨のトレイルを歩いて、僕と同様に全身濡れていたようだ。翌日は快晴となり無料貸し出しの洗濯機の前には行列ができていた。
アルパインクラブの庭は洗濯物で埋め尽くされ、その中にはこれまで見たことのなかったヨーロッパの軽量ギアも干されていた。僕は新しい物に目がないので「これクールだね」「使ってみてどう?」なんて興味津々。
多くのハイカーが集まるのはPCT DAYS以来でとてもワクワクした。久々のゆったりとした休日を過ごすことで、雨で弱っていた僕の身体は完全回復!
山火事注意
ドイツ村として有名なLeavenworth
Stevens Passというスキー場に到着。そこで準備を済ませた後は、予定通りそのまま北上して歩くつもりだった。
しかし、PCTA(Pacific Crest Trail Assosiation:PCTの運営団体)の最新情報によると、山火事で少し先のルートが一部通行禁止になっているらしい。Cascade Rocksから旅を共にしている日本人ハイカーの遠藤夫妻と僕は隣町のLeavenworthまでヒッチハイクで移動して、今後のルートを再考するために作戦会議を行った。
次の街の郵便局へ送ったバウンスボックス
Leavenworthは街並みが綺麗な地方観光都市。多くのギフトショップやレストランで、久々の観光を楽しんだ。
次の街Stehekinではリサプライ(食料補給)のバラエティが充分でないため、僕たちは初めてのバウンスボックスをすることにした。バウンスボックスとは、リサプライで必要な食料などを段ボールに詰めて次の街の郵便局等へ送ることをいう。
アメリカでの発送手続きは慣れれば簡単だけれど、送料がかかってしまうためこれまでは控えてきた。初めてのバウンスボックスにますますハイカー味が増してきたぞ、と僕は自慢げに食料の詰まった重い箱を郵便局へと預けたのだった。
ヒッチハイクとバスで大移動
山火事の区間を避けるため、僕たちは大きく舵を切ることにした。先にカナダ国境を目指し、そこからStevens Passへと南下して戻る計画に変更。ヒッチハイクと公共バスを乗り継いで、苦戦することなくカナダ国境手前の小さな街であるMazama Villageへと到着することができた。
カナダ国境
ビュッフェスタイルのディナー
Mazama Villageから少し歩いたところにThe Lion’s Denという場所がある。ここはLionと言う名のオーナーがPCTハイカーのために運営しているキャンプ場。
多くのPCTハイカーはこの場所を拠点にリサプライを済ませ、ゴール地点のカナダ国境へと向かう。
Lionの気まぐれで夕食をご馳走してくれたり、無料でシャワールームの貸出しや洗濯もしてくれる。まさにハイカーの”Den(巣)”なのだ。
登山口へ出発前に撮影した集合写真
Lion‘s Denからは登山口まで送迎の車が出ている。
翌朝、他のハイカーたちと車に乗り込みトレイルへと向かった。
「いざ、カナダ国境へ!」登山口から国境までは30miles(約48km)。20-25miles程歩いて、翌朝明るい時間に国境へ立ち、翌々日にLion’s Denへと戻る計画でゆっくりと歩き始める。
この後シエラに戻るというのに、僕の脳内はゴールが近づいているというワクワクと寂しさを感じていた。物思いにふけながら1人トレイルを歩いていると、後ろからテンポの速い足音が聞こえてきた。
これまでトレイルや街で何度か会っていた”Shopper”が颯爽と僕の前に現れたのだ。Lion‘s Denからの送迎を使わずに、早朝から50miles(約80km)歩いてカナダ国境を目指していると言っていた。スペイン出身の彼は歩くペースが速い。彼くらいとんでもない速さと体力を持つハイカーは、PCTでもかなり珍しい。
カナダ国境にあるノースターミナス
ついに僕はカナダ国境のノースターミナスへ辿り着いた。
PCT最北点、つまりゴール地点にはモニュメントがひっそりと立っていて、その前に”Green Thunder”というハイカーが静かに座っていた。PCTを歩き終える前日をそこでゆっくりと過ごしていたそうだ。
ここは僕たちPCTハイカーにとって神聖な場所で、それぞれが特別な想いを持って過ごす。Shopperも続いて到着し「Congratulations!」と3人でお互いを讃え合った。
ハイカーとすれ違う時はCongrats!と拳を重ね合わせた
Shopperに触発されて、帰りは国境からLion’s Denまでの50miles(約80km)を1日で歩くことにした。僕の初めての50milesチャレンジだ。
寒くてなかなか寝袋から抜け出せず、起きたのは翌朝6時。距離と時間を計算してみると、そこそこ速いペースで歩いてもLion’s Denに着く見込みは夜の9時前だった。
途中、歩いていると僕を乗せてくれようと何度か車が止まって声をかけてくれた。
だけど「歩きたいから大丈夫!」と断りながらひたすら歩く。太陽が落ちて暗くなりだすと断ったことを後悔したけど、「僕たちハイカーはなぜ歩くのだろう」なんてことを考えながら歩いていたら50milesなんて距離はあっという間に過ぎていた。
迂回路を通って
火災跡の迂回路
Lion’s Denに戻った僕は前日の50milesチャレンジで体がバキバキに疲れていたため、1日休んでから再出発することに。PCTのルートに戻って南下しようにも、未だに山火事は収まらずに迂回路を歩く必要があった。
「迂回路はトレイルのアップダウンも激しくて景色もイマイチ」と聞いていた分、十分に気合いを入れて歩き始める。聞いていた通り、これまでで1番の急登にさしかかった。壁のように空へ続くようなトレイルを息を切らせながら歩く。次の街Stehekinが近づくに連れて山容が変化し「迂回路も悪くないじゃん」なんて独り言を吐く。
Eagle Passを越えると、山の隙間からStehkinが面するシュラン湖が見えてくる。これはPCTのオフィシャルルートを歩いていたら見ることのなかった景色に違いない。これまで見たどの湖よりも大きく、船が何度も行き来する秘境を山の上から眺めることができて僕はなんてラッキーなんだと思った。
徒歩、水上飛行機、フェリーでのみ訪れることのできるStehekin
Stehekinに着くと、顔馴染みのハイカーたちと予想外の再会を果たす。
かつてCascade Rocksで出会い、しばらく旅を共にした日本人ハイカーのみんなも勢揃いして、僕たちはビールで再会を祝った。
少し前にLeavenworthから送っていたバウンスボックスを開封して十分な食料で宴を開催。こうやって沢山のハイカーと再会できたのは、本来とは違う不規則なルートで歩いたからに違いない。
Stevens Passからここにたどり着くまでの道のりは少し大変だったけど、頑張って歩いてよかったと、みんなとの再会をしみじみ味わった。
再びのStevens Pass
奥に見えるのはグレーシャーピーク
Stehekinでみんなと別れてからは、よく歩いた。
僕は、何度目かのハイカーズハイになっていたんだと思う。トレイルを歩くことが楽しくて仕方がない。どこまでも行けるような気持ちになる。とはいえ景色が良いところではたっぷりと休憩し、お湯を沸かして食事をしたり、昼寝をしたりなんかも忘れない。
最初に決めた計画通りにただ歩くのではなく、天候や気分に合わせたり、突然の山火事のようなイレギュラーが起きてもそれを含めて楽しめるようになっていった。
僕は以前と比べ、確実にトレイルでの生活を満喫できるようになっていたし、旅の終わりが近づいたことで、この最高な時間を少しでも延ばしたいと思っていたのかもしれない。
雨のなか凍えながら歩いた
この頃、夜はテントを張らずにカウボーイスタイルで寝るのが当たり前になっていた。
ある日いつものようにグランドシートと寝袋を広げて眠っていると、小雨が降っていることに気が付き目覚める。「これくらいなら大丈夫か」と眠り続けていると次第に雨は強くなって、僕が起きる頃には体は雨で濡れて体温が下がりきっていた。
「やばっ!」と僕は飛び起き、寝袋をバックパックにつめ込んですぐに出発。トレイル生活に慣れたなんて思った矢先の失敗はなかなか堪えた。歩いてもなかなか体温は上がらない。
しばらく歩いてからStevens Passへ着いた瞬間の安堵感は今でも覚えている。すぐにカフェに行ってコーヒーを飲み、ハイカーボックスから拾った食べ物をむさぼり体を温めたのだった。
再びカリフォルニアへ
シアトルで有名な観光スポット「ガムウォール」
Stevens Passからバスに乗ってシアトルへ移動。シアトルでは観光地やアウトドアショップをまわった。
街にいるというのに、1日で30kmも歩いていたのには驚きだ。日本食スーパーで食材を大量に購入し、安いドミトリーのキッチンで調理して食べた。
翌日は遠藤夫婦と合流して安宿で日本食パーティ。アメリカでの生活は楽しくエキサイティングなことが多い。けれど、日本にいるときと同じように食事ができないのは、白飯が大好きな僕にとってはとても苦しかった。
ガラス張りの車両で外を眺めながら軽食を
そして、いよいよシエラを歩くためにカリフォルニアへ戻る時が来た。シアトルからシエラがあるカリフォルニア州までの移動距離は1,000miles(約1,600km)。大量の食料をパンパンに詰めたバックパックを背負って、僕たちは最後の旅へ向かうために電車へ乗り込んだ。
Text&Photo:Sho Masuda
Edit:Michitaro Osako(YAMA HACK)