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シエラをスキップして北カリフォルニアへ

第2回

異常気象の影響で急遽旅の計画変更を余儀なくされる増田翔。イレギュラーに翻弄されながらも、予測不能な出来事を楽しんでいく。

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2023年は異常気象のせいで雪がかなり多いと、スタート前から聞いていた。特にシエラでは、この100年間で最も雪が降ったらしい。その影響は頑丈な橋を壊すほどで、渡渉時の危険が大いにあった。

安全策をとってFlip-flop(区間をスキップしてまた戻ること)するPCTハイカーが多く、僕も同じようにシエラをスキップしたひとりだ。PCTで一番楽しみにしていたシエラは最後に歩くことにして、北カリフォルニアへとバスを乗り継いで移動した。

再スタート

僕に名前をつけてくれたママシータ

Chesterの町を歩いていると久々にPCTハイカーに遭遇した。彼女の名前はママシータ。
3月にスタートし大雪のシエラを歩いてきたという。着ている服や荷物は使い込んでいるのがすぐに分かったし、その汚れがハイカーとしてかっこよかった。

”ママシータ”というのは本当の名前ではなく、トレイルネームというニックネームのようなもの。ハイカー同士はトレイルネームで呼び合うことがほとんど。ちなみに”ママシータ”は「小さなお母さん」という意味だ。

彼女は、時々チョコレートシロップを直飲みしていた僕に「”シロップ”なんてどう?」とトレイルネームをくれた。こうして僕はYAMA HACKのトレイルネーム募集企画でもらった”Showman”から”Syrup”へと生まれ変わり、新たなスタートをきった。

景色がガラッと変わった北カリフォルニア

北カリフォルニアのトレイルに入ると、木々が生い茂り緑が青々しかった。それとは対照的に火災跡の焼け焦げたエリアもちらほら。それでも日陰があることが、何よりもありがたかった。
僕は2日目の朝にママシータと別れの挨拶を交わして、再び歩き始めた。

変わったのは植生だけではない。PCTハイカーが増えたのだ!
シエラを歩いて来た組と僕と同じようにFlipした組にようやく追いついた。
砂漠では人に会うのが恋しかったけれど、人が多く賑わうトレイルに慣れ始めた頃、僕は人の少ない静かな場所を求めるようになっていった。

自由を求めて装備を軽量化

一週間はこのスリーピングマットで

Old Stationというエリアに着く手前でエアマットに穴が空いた。しばらくの間、厚さ5mmのマットを敷いて夜を過ごすことに。
「意外といけるな」と思った僕は、これを機に装備の軽量化を開始。荷物が軽くなると歩く距離が伸びるだけでなく、体の疲労も少なくなった。

持ち物がシンプルになることでパッキングもスムーズになる。環境と自分の体質とのバランスを見極めるのが難しくもあり、それを考えるはまるでRPGゲームのようで楽しかった。
Castellaというガソリンスタンドとコンビニのみの街へ降りる。僕はそこの郵便局で、インターネットで注文していた軽量ギアを受け取る手筈だったけれど、配送の遅延で到着は2日後になるとのこと。郵便局員に先の町まで転送をお願いして、近くのキャンプ場に向かった。

キャンプ場の無料シャワー

キャンプ場には、なんと無料シャワーがあった。シャワーを浴びる機会は少ないため、体はもちろん、衣類やバックパックまでしっかりと洗い上げた。バッグはショルダーベルトが汗を吸ってとんでもない匂いを放つ。これには相当困った。

テントサイト近くにはハイカーボックスがあり、僕は今後の冷え対策としてそこでゲットしたクローズドセルマットを短く切って使うことにした。
自分が求めるものがちょうどハイカーボックスにあると雷が落ちたかのように嬉しくなる。こうしてお金をかけずとも持ち物を替えられるのは、ハイカー人口の多いPCTならではなのではないだろうか。

クマとウマ

カウボーイおじさん

翌日、歩くと粉が舞い上がるほど細かい砂のトレイルからスタートした。洗いたての足先は、早速黒くなっていく。
「はぁ」とため息を吐きながら緩い斜面をトラバースして歩いていると、角を曲がってすぐのところでクマが出てきた。ハッと身構えるよりも先に、僕は来た道へと走っていた。

一瞬冷静になり振り返ると、クマも驚き慌てて森の中へと走っている。出会ったクマがビビりなやつで良かった。

翌日になり幅の細いトレイルを歩いていると、後ろからおじさんが馬に乗ってやって来た。僕は端に寄って目の前を通過する彼らの写真を撮っていた。おじさんは「後ろに犬もいるんだぜ」と誇らしげに言い放って縄をブンブン振り回しながら消えていく。

僕は心の中で「アメリカー!」と叫んだ。

バッテリーは満タンに

Etnaのスーパーでリサプライ

北カリフォルニアセクション後半にあるEtnaは、小さくて可愛らしい町だ。民家の庭では野生の鹿が昼寝をしている。
早朝にヒッチハイクしてこの町に着いた僕は、朝からオープンしているカフェに入ってコーヒーを注文した。

すると次々とハイカーたちが店に入ってくる。みんなやることは同じで、まず電子機器系を全て充電し、店の角にあるハイカーボックスを漁る。
それが終わってようやくコーヒーを飲むのだ。僕はバッテリーの充電が終わるまで3時間くらい居座っていたかもしれない。今やバッテリーを満タンにすることは、ハイカーにとって食料と同じくらい重要なのだ。

チェーンソーと野生のベリー

大きめのキャンプ場で宿泊した翌日の朝、太陽が昇る前に支度をしていたら、ちょうど同じタイミングでハイカーが奥から歩いてきた。彼の名前は”チェーンソー”。優しい顔をしているけどチェーンソー。由来は忘れた。

歩きながら話していると「おぉ!」と言って急に道端へかけ寄って何かを採っていた。近づいてみると、彼は野生のクランベリーをすごい勢いで摘んでは食べている。空腹だった僕もつられて相当な量のベリーを食べて、気づいたら手のひらは紫になっていた。
野生のベリーをトレイルで食べるのはもちろん初めてで、僕はジワジワと興奮したのを覚えている。

時にはトレイルばかりでなくコンクリートの舗装路も歩く。ベリーをつまみながらロード区間を歩いてSeiad Valleyに着いた。チェーンソーはカフェで朝食を食べると言い、僕たちはそこで別れた。

僕は隣のコンビニで買ったポテトチップスを歩きながら食べ、再びトレイルへと戻る。

カリフォルニアからオレゴンへ

絶景の連続

北カリフォルニアも、後半になると湖が増えてきた。どれも標高の高い山間部に位置し、日本ではなかなか見られない光景にうっとりしていた。
湖で気持ち良さそうに泳いでいるハイカーもチラホラ。僕はカナヅチだから黙々と体を洗うしかできない。日本へ帰ったら泳ぎの練習をするという宿題ができた。

北カリフォルニア最後の街Ashlandには、珍しく清潔で綺麗な格好で到着した。
僕はまずスーパーで買ったオレンジジュースをがぶ飲みし、食べ放題のインドカレー屋へと向かう。

久々のカレーに興奮し、サラダとカレーを2回ずつおかわり。その後、胃がもたれたので公園の芝生で昼寝をしてからホテルへと向かった。本当はそのままベッドへダイブしたかったけど、実際はトイレへダイブ。全部口から出てスッキリした僕は、今度こそ気絶するようにベッドで眠った。

マシューとのツーショット

Ashlandはハイカーフレンドリーな街で、声をかけられることがとても多い。街中を歩いていると道路脇に停めてある車から話しかけられた。

「これからトレイルに戻るの?乗って行くかい?」
「そうなんだ、でも郵便局とスーパーに用事があるから、きっと昼過ぎになるかな」
「それなら俺が全部送ってやる!カモン!」と車を走らせてくれた。

逆ヒッチハイクしてくれた彼の名前はマシュー。マシューは僕の小さなバックパックを見て驚いたようで「REI(アウトドアショップ)に行くか?」と言ってくれたり、中心街から離れた最安のスーパーを案内してくれた。
「行きたいところはないか?」「必要なものはない?」と心配してくれる姿が父親に重なり嬉しくなる。トレイルヘッドでは、お礼にと買っていたコーラで乾杯!

共に過ごしたのは、ほんの数時間。ついさっき会ったばかりだったけれど、僕は別れが悲しくなり、涙を流しながら車が見えなくなるまで手を振り続けた。

クレーターレイク国立公園

曇りでもこの青さ

オレゴンセクションはアップダウンが少なくフラットなトレイルで、湖や湖畔沿いのリゾートが多い。全米1位の深さを誇るクレーターレイクは、想像以上に大きくて青かった。
湖に沿うようにして続くリム・トレイルを歩くのはとても開放的で気持ちが良い。ゆっくり歩いたせいで、目的のテント場に着くのがかなり遅れてしまったのはもはや笑い話だ。

悪天候

ストームで川は一瞬で濁流に

カリフォルニアでは雲ひとつない日がほとんどだったし、PCTをスタートしてから約50日間、僕は雨に降られることは一度もなかった。

特に雨の心配もない晴れた日のこと、いつものようにトレイルを歩いていると、少し先のほうに怪しい黒い雲が現れた。「絶対降るじゃん」なんて思っていると、予想は的中。
しかもただの雨じゃなくて大粒の雹。体に当たるとめちゃくちゃ痛い。そして急激に気温が下がったので、慌てて全ての保温着を身につけた。
あまりの突然さに驚きながらも、初めてのストームにテンションは上がっていた。

サプライズビール

店に入ると渡された激旨クラフトビール

シスターズの街に着いて僕がまず最初に向かったのは、Hike-N-Peaksというアウトドアショップ。靴下を新調するためだけど、理由はそれだけじゃない。そこに行くとPCTハイカーには1杯のビールをプレゼントしてくれると友人から聞いていたのだ。

店に着くとスタッフが「PCT歩いてるの?調子はどう?」と話しながらビールを渡してくれた。人柄もビールの味も、もちろん道具のラインナップも最高。もしPCTを歩くなら、ここは是非行ってほしい。

リゾート地

ハイカーは常にハングリー

オレゴンセクションでは、ヒッチハイクで街に降りることが少なかった。食料の調達は、トレイルからそう離れてないリゾートキャンプ場で済ませていた。

Shelter Cove ResortやElk Lake Resortには、リッチなキャンパーが大勢いた。中でも印象的だったのはBig Lake Youth Campだ。
そこではリサプライBOXを送って受け取ることもできるし、ドネーション(寄付)でシャワー、洗濯、宿泊することができる。1番驚いたのが無料で食事をご馳走してもらえること。ビュッフェスタイルの食事に、僕は例のごとく何度もおかわりした。

日本人ハイカーに出会う

味が出まくりなセンパイPCTハイカー

急峻な山が増え二足目の靴に限界を感じはじめた頃、僕は歩くペースが落ちていた。足底の激痛で思うように前へ進めなかったのだ。

そんなある日、向かい側から「おぉ!」と声が聞こえた。
SNSを通じて知り合った日本人ハイカーのソニックだ。僕にとって約2ヶ月ぶりの日本語での会話は、初対面を感じさせない彼の柔らかい雰囲気のおかげもあって、止まることなくあっという間に過ぎていった。

共通の言語でコミュニケーションが取れることの楽しみを、僕は強く噛み締めていた。
「きっとこの先でたくさんの日本人ハイカーに会うと思うよ」と、それを聞いた時、足の痛みが少し和らいだ気がした。またシエラで会えるかもしれない期待と、日本での再会を約束して僕らはそれぞれの道に戻った。

ガバメントキャンプ

Mt.Hood麓の小さな街

オレゴンも終わりが近づいて来た。Mt.Hoodの麓にあるGoverment Campはスキーリゾートで有名な町。バーやレストランが多く、小さな町は観光客で賑わっている。まだ夏だというのに宿の周りはスキー合宿の少年たちでいっぱいだ。

標高3,429mのMt.Hoodは夏でも雪が残っているため、一年を通してスキーができるのだ。僕は残り最後のオレゴンセクションに備え、この町で2日分の食料を調達し、Timberline Lodgeへと向かった。

みんな大好きMt.ワシントン

Text&Photo:Sho Masuda
Edit:Michitaro Osako(YAMA HACK)