ウィルダネスに入って3日目。
今日は、昨日の遅れを取り戻すためにサクサク歩かなければならない。
ここからはパシフィック・クレスト・トレイルの一部に入る。通称PCTは、アメリカの西部を、南はメキシコ国境から、北はカナダ国境まで、文字通りアメリカを縦断する超ロングトレイルだ。総距離は4000kmを超える。
知人で何人かスルーハイクをした人がいるけど、ちょっと人を超えた何かになっている佇まいがある。いつか僕もスルーハイクしたいという気持ちになるのだろうか。
ゆっくり味わっていたい情景
グレンオウレンのすぐそばにあるホワイトカスケード・トゥオルミ・フォールズという滝。轟音で話し声も聞き取れないレベルの水量。
轟々と音を立てる数々の滝を横目に登っていく。地図を確認してみても、いくつかの名前しか出てないけれど、日本だったらひとつひとつが名所になるほどの迫力だ。
水の少ない10月でこれなんだから、夏場はスプレー舞い散るチルトレイルになることだろう。
まったく飽きのこない変化のあるトレイルはさすがPCTというところか。
途中から滝が川に変わり、道もだんだんと平坦になってくる。そしていよいよ僕の大好物のメドウが現れる。
メドウ。
ぴったりの日本語訳がないようなのだけど、いわゆる高地にある湿地。尾瀬をちょっと乾かした感じだと言えばなんとなく伝わるだろうか。
なかでもこのトゥルミ・メドウズは、ヨセミテで最大規模のメドウだ。ここではサイズ感がバグる。果てしない湿地の連なり。遠くにある山はカセドラルピークだ。
今日の歩き始めから見えてはいるけど、あんまり近づいたという感覚がない。遠い山がずっと遠い。これがヨセミテのスケール感だ。
今日はあの麓まで行く予定なんだけど、行けるのか?
広大な湿地が広がるトゥオルミ・メドウズ。夏場はもっと瑞々しくて美しい。遠くに見えるのがカセドラルピーク。
痛恨!ビールにもバーガーにもありつけず!
アテにしていたビールとバーガーを得られず、廃墟となったショップ跡でふて寝。いつもだったらウィルダネスに入りっぱなしのルートを取るけど、一度こうして人の気配を感じるのも悪くない。「君たちはせいぜい急ぎ足で見てまわればいいさ」。べつに負け惜しみではない。
このトゥオルミ・メドウズを経由するルートを選んだのは理由がある。
ここには、小さな商店があって、ビールやガス缶なども買える。しかも隣にはバーガーショップもある。
たぶん普段だったら特別に美味いわけではないのかなぁと思ったりもするんだけど、ハイキングの途中に食べると、とにもかくにも美味いのだ。
いざバーガーとビール補充!と思いきや、そこにあったのは、もはや廃屋と化した姿だった。まさかのクローズ!ってか廃業してない!?
ここはたくさんのハイカーにとって思い出の地なはずなのだ。
とくに貧しい食生活を続けてきたスルーハイカーにとっては、天国的存在だったはずだ。僕自身も何度かお世話になった場所。なにやらとても切ない気持ちになった。
後で調べてみると、このあたりは現在リニューアル中で、2024年に再オープンするようで、ひと安心。
ならばせめてコーラだけでも、いやもしかしたら店が閉まっている分、ビールもこっちに移動してるかもという、未練がましい思いでビジターセンターに向かうが、こっちも工事中でクローズかい!
結局、なにも文明の恩恵に与れず、ふたたび荒野へ。
いや、ひとつあった。簡易トイレだ。そのためだけに車道を約3kmも無駄に歩くことになるとは……。昨日は絶好のキャンプ地だったから、酔いに任せて、虎の子のウィスキーもすべて飲みきっている……。
水場のないキャンプ地のことを「ドライキャンプ」と呼んだりするんだけど、僕にとってのドライキャンプは酒の不在だ。
きつい登りの後には天国が待っていた
カセドラルレイクまではずーっと登り。正面に見えるドーム型の山はクライミングスポットにもなっていて、姿は見えなかったけどクライマーたちの声が聞こえた。
とりあえず落ち着こう。
ここからは憧れのジョン・ミューア・トレイルをヨセミテバレー方面に向かって歩いていくのだ。谷に向かうんだから当然下り基調、と思いきや、いきなりきっつい登りかよ!
標高2900mまで一気に高度を上げていく。すでにこの日だけで20km近く歩いている。ただ、すれ違うデイハイカーが多いということは、行く先の凄さも期待できる。
ヘロヘロになりながら辿り着いたカテセドラルレイクは天国としか言いようがない場所だった。3000m超えのハイマウンテン、メドウ、湖という、まるでこれまでの景色の総集編。すぐ近くに見える3300mのカセドラルピークはジョン・ミューアが初登頂した山だ。
以前も一度来ていたことはあったんだけど、誰もいないカセドラルレイクを独占できる贅沢は、オーバーナイトハイカーしか味わえない。
多くの日本人もスルーハイクしているロングトレイルの名前にもなっているジョン・ミューアは、ヨセミテを心より愛したナチュラリストで、自然保護の父とも呼ばれている。
当時のアメリカ大統領、セオドア・ルーズベルトがヨセミテを訪れた際、案内人として同行したのもジョン・ミューア先生。
それがきっかけで、アメリカの国立公園制度が生まれたと言われている。いま、我々がこうした自然を楽しめる礎を作ってくれた、すべてのアウトドア好きの恩人と言っても良いかもしれない。
このカセドラルレイクは、実は初めてヨセミテに来た時にデイハイクで訪れた場所。いつかテントで泊まって、独占してみたいと思っていたのだ。
カセドラルレイクのキャンプ地は永住したくなる居心地の良さ。これで焚き火ができたら最高なんだけどなぁ。
でもどうやらここはワタリガラス(レイブン)の縄張りらしい。
さっきから近くに飛び降りてきては、鬱陶しそうな目線をこちらに送ってくる。
たしかに、ここでは部外者は人間のほうだ。お邪魔します、と言葉にはせず目線に込めると、ワタリガラスは、そばに落ちていた枝をクチバシで器用に掴みながら遊び始める。
今日のキャンプ地であるカセドラルレイクは焚き火禁止エリア。気温はおそらく3度くらい。炎の温もりがないのは少々つらいが、悪いことだけじゃない。灯りがない分、闇が深い。
空を見上げるとこれまで見たことがないほどの天の川が覆っている。地べたに寝そべってそれを見上げていると、宇宙の中に飲み込まれてしまうような、恐怖すら覚える美しさだ。
Text:Takashi Sakurai
Photo:Hinano Kimoto
Edit:Michitaro Osako(YAMA HACK)