野営場で、マウンテンパーカを持ち去ったキタキツネが教えてくれたこと

1995年の秋。はじめての北海道キャンプ旅行で大雪国立公園内の然別湖北岸野営場を訪れたときのことです。北海道とはいえ、街が遠くない野営場という立地で、私はまるで油断をしていました。まだアウトドア経験も浅く、北海道旅行に浮かれてもいたのでしょう。
麓の鹿追町の焼き肉屋で夕飯を食べた私は、野営場に戻ると暖を取るために焚き火をはじめました。ビールを飲みながら、湖越しに煌めく星を見つめていました。
30分も過ぎた頃でしょうか。私は、気配を感じ取りました。背後になにかがいます。間違いなく、います。
「ヒグマではありませんように……」と振り返った先にあったのは、キタキツネの顔でした。その瞳に焚き火の炎が映っているのが見える、至近距離です。ヒグマであれば、私は気絶していたかもしれません。
野営場を訪れた人がBBQの肉を与えたのか、または残していったゴミの味を覚えたのか……脱いで置いておいた焼き肉のニオイが残っているマーモットの6万円もするマウンテンパーカを、キタキツネは咥えていました。そして、そのまま駆け出しました。
幸い、私が即座に追いかけると、キタキツネは咥えて走るには重く大きなマウンテンパーカを離して森へと逃げていってくれました。ニンゲンに慣れた野生動物にとって、ニンゲンの食べ物の強いニオイは、彼らを呼び寄せることになると改めて認識した出来事でした。そして野生動物は火を恐れるという常識は、彼らに警戒心があってこそ成立することなのだと、学びました。
若気の至り……ウミガメを驚かしてしまったこと

1996年の夏前。当時、覚えたばかりのシーカヤックに乗って、奄美大島の南端・大島海峡を渡り、加計呂麻島の海旅をしました。リーフに囲まれた海峡は静かな内海で、シーカヤック初心者の私でも、天気予報さえ確認しておけば、安全に旅することができました。
加計呂麻島の砂浜から海峡に出てツーリングをしていると、一頭のウミガメが息継ぎをしに海面に頭を出しているのを見つけました。私が静かにカヤックを寄せると、ウミガメも近寄ってきてくれました。アンカーを落とし、ゴーグルを装着して海中に潜ると、待っていてくれたように、ウミガメが私の周囲を回って、一緒に泳いでくれました。
そこで、止めておけばよかったのですが、調子に乗るのが私の悪いクセです。泳ぎながら「カメ~~~」と海中で叫んでしまったんです。驚いたウミガメは、一目散に遠くの海へと逃げて行きました。
野生動物はペットではないのです。可愛いからと、冷静さを失ったり、一方的に距離を詰めてはならないのです。そんな当たり前のこと、観察者としてのニンゲンの立ち位置を、知りました。
ウミガメだから逃げてくれましたが、他の動物だったら、攻撃されていた可能性も大いにあります。
野生動物を観察するデナリ国立公園での距離感

1996年の夏、写真家の星野道夫さんが、カムチャッカ半島でグリズリーに襲われ、亡くなりました。当時、アウトドア雑誌で連載を持っていた私は、星野道夫さんについての文章を書き、97年の9月、アラスカ・フェアバンクスの星野さんの自宅を訪れる機会を得ました。その際、デナリ国立公園も訪れました。
日本の四国よりも広い面積の国立公園は、一般車両の進入禁止。専用のバスに乗り、キャンプをするにも人数制限あり、野生動物に接近することも規制されていました。しかし訪れた人の目的は、野生動物の観察です。
ハクトウワシ、ホッキョクジリス、ドールシープ、カリブー、ムース、そしてグリズリー。往復10時間のバスツアーに参加すると、極北の風景のなかに、当たり前に生きている多くの野生動物たちの姿がありました。

野生動物ごとに、ニンゲンとの距離感の違いがあることも、知りました。
過去に乱獲されたドールシープは崖に点のようにしか見えず、グリズリーもツンドラの原野にポツポツ。カリブーは近くまで来ますが、それでも距離を取り、電柱のように大きなカリブーはかなり近くまで寄ってきます。そしてホッキョクジリスは愛らしい姿をすぐ目の前で見せてくれました。
夏の間、多くの観光客、ハイカー、サイクリストが訪れるデナリ国立公園の野生動物は、ニンゲンに慣れているとも言われています。しかしバックカントリーでのキャンプでは、食料等をベアキャニスターに収納。テント、調理場所、キャニスター保管場所をそれぞれ100m離すことをルールとしてクマ対策をしています。過去には極端にグリズリーに接近したために死亡事故が起きたこともありますが、約300ヤード(275m)の距離を取り、近づいてきたらゆっくりと逃げる、音を出す等の対処が有効とされています。ちなみに、熊鈴を鳴らす人はなく、アウトドアショップでも売られていません。
私たちが野生動物と共存するためには、そして野生と観察者(または町では生活者)という立ち位置を保つには、一定の距離を保つ、ニンゲンの食べ物の味を覚えさせないということ以外に、よい方法はないのだと思います。その距離感は野生動物まかせとなりますが、ニンゲン側からは距離を縮めるきっかけをつくってはならないのです。
食事に夢中のアナグマ

警戒心を持って山を歩き、そして走っていると、遠く、といっても50~70mくらいの距離ですが、野生動物より先に、その存在に気が付くことがあります。先日も、毎月のように訪れている富士山中腹の須山登山口から山歩きをしているときに、アナグマを見つけました。
地面を掘り返して、餌を探しながら、30m、10mと私のいる場所に向かってきます。アナグマなのでそのまま私の脇を通っていってもらっても構わなかったのですが、3mまで近づいたところで舌鼓を「タン!」と鳴らし、「近づきすぎですよ!」とお知らせしました。
すると目と口を大きく見開き、ニンゲン同様に驚いた表情を見せたアナグマは3秒間カラダを硬直させ、踵を返し、やってきた方向に逃げていきました。
このアナグマに限らず、餌探しに夢中な野生動物は警戒心が弱まります。キノコや山菜、写真撮影に夢中になっているニンゲンも同様です。

先述した星野道夫さんのエッセイ『旅をする木』に収められた「北国の秋」には、食べものに夢中になったクマとニンゲンの親子の話があります。
❝そんな時、『サリーのコケモモつみ』という絵本を思い出します。ある秋の日、お母さんと子どもが山へブルーベリーの実を摘みにゆく話です。子どものサリーは、夢中になって実を摘むお母さんの後ろをついてゆくのですが、いつのまにかはぐれてしまうのです。同じ山へクマの親仔がブルーベリーを食べにやってきます。やがて仔グマも、夢中になって実を食べる母グマを見失い、いつのまにか、ニンゲンの子どもは母グマの後ろへ、仔グマは人間のお母さんの後ろへついてゆくという話です。この絵本は、アラスカであとてもリアリティがあるのです。❞
こんなユーモラスなお話であればよいのですが、偶然の遭遇は不幸を招くこともあります。山は美しいもの、やさしい空気に満ちていますが、しかし私たちニンゲンは、警戒心を緩めてはならないのです。
小さな失敗をしても、自然や山を学ぶことの大切さ

野生動物とニンゲンが共存するには、距離感が必要です。気配はするのだけれども、姿は見えない。つまり、ニンゲンが存在を知らせれば、野生動物側が逃げてくれる、距離感です。それは互いの警戒心がつくる距離です。
でもその警戒心は、野生動物同様に、ニンゲンも学ばなければ、わからないところがあります。野良猫やカラスくらいしか見たことのない街のニンゲンは、自然、山のなかで、野生動物の気配さえ、気が付けないでしょう。
だから、学んでいくのです。
自然、山を守るには、その原因となるニンゲンが入らないことだと言われることもあります。ですが、自然、山のなかで多くを学ばせてもらった私は、その考えには賛同できません。
むしろ、自然や山で、そこがどんなものなのかを学んできていないニンゲンが増えたことが、野生動物とニンゲンの境界線を近づけてしまっているとも、感じています。

私は今回書いたような野生動物との出合いを通して、出合わない方法を学んできました。
野生動物と距離感を保つため、私なりに警戒の仕方を身につけました。痕跡、音、ニオイ、気配に敏感になったのは、野生動物と出合ったからです。
小さな失敗も含めて経験したからこそ、間違える確率を下げられているのです。正解、最適解はありません。でもだから、常に警戒心を持てるのだと思います。
それでは皆さん、よい山を~~~!