山岳遭難事例から学ぶ、夏山登山中の注意点
7月に入り、いよいよ本格的な夏山シーズンを迎えました。長期休暇を利用して普段はなかなか足を運ぶことができない北アルプス等の高峰を目指して全国から多くの方々が入山し、各山域とも年間を通じて最も賑わいをみせるシーズンですが、一方で最も山岳遭難が多発するシーズンでもあります。昨年は7、8月の2か月間で101件の遭難が発生し、死者10名を含む101名の方が遭難しています。
ちょっとした気の緩みや準備不足によってせっかくの登山が一転して重大な遭難になってしまった事例を私たちは数多く目にしてきました。そんな遭難の実態を一人でも多くの皆さんに知ってもらうため、実際の救助活動の様子を収めた動画を活用し、「長野県警察YouTube 公式チャンネル」で公開しています。
今回は、この夏山シーズンに合わせて公開している動画の事例を題材に、夏山登山中の注意点について考えたいと思います。
ヘルメット着用による頭部保護の重要性
1件目は、昨年7月下旬に北アルプスの遠見尾根で発生した滑落遭難です。
この事例は、単独登山中のAさん(53歳、男性)が、遠見尾根を下り始めて間もなくして濃い霧に視界を阻まれ、本来の登山道を外れてしまい、途中で道を外れていることに気がついて登山道に戻るため足場の不安定な斜面を横移動していたところ、スリップし斜面を約100メートル滑落してしまったものです。
たまたまAさんの滑落を目撃していた他の登山者がいたため、すぐに現場から110番通報がなされ、Aさんは県警ヘリで救助され110番入電から約2時間後には松本市内の病院に搬送することができました。
当日の現場は、雲海の境目に位置し、絶えずガスが湧き上がり、動画にも救助隊員がヘリから現場へ降下したものの一時的にガスに閉じ込められてしまう様子が収められています。仮にヘリでの救助ができなければ、現場の位置や状況から当日中の救助は難しかったのではないかと思います。
頭部の負傷が生死を分けることも
Aさんは診察の結果、手首やあばらなど複数箇所の骨折が判明し、完治には半年を要する重傷を負いましたが、それだけの怪我を負いながら頭部についてはヘルメットを被っていたおかげで深刻なダメージを回避することができました。

Aさんが被っていたヘルメット
写真は、実際にAさんが滑落した際に着用していたヘルメットです。アタッチメントは外れ、表面には滑落のダメージを物語る擦過痕や血痕が残り非常に生々しい限りですが、ヘルメットが身代わりになりAさんの命を守ったと言えるでしょう。
過去に発生した滑落遭難の中には「ヘルメットさえ被っていれば……」という事例も少なくありません。標高にかかわらず滑落の危険のあるコースを登山する際は、是非ヘルメットを着用してもらいたいと思います。
体力に見合ったコース設定
2件目は、北アルプス不帰ノ嶮の先にある「天狗の頭」における疲労遭難です。
この事例は八方尾根から3泊4日の予定で単独で入山したBさん(71歳、男性)が、計画の2日目の夕方、疲労により行動不能となったものです。
110番通報が午後7時7分と遅く、既に日没となっていたため、Bさんには当日は現場でビバークをしてもらうことになりましたが、Bさんは、山小屋利用のため、防寒着はもっていたもののビバークに必要なシェルター等は携行しておらず、当日はほぼ着の身着のままでビバークをしてもらうしかありませんでした。
幸い、当日は夜間も天候が安定していたため、翌早朝に無事救助されましたが、映像を見てもらえれば分かるとおり、現場は森林限界を超え、付近に風雨を避けるような場所は殆どありません。
仮に当日が雨天だったとしたら、Bさんは命に関わるような深刻な低体温症に陥っていたかもしれません。
そのコース、あなたの体力・技術で本当に大丈夫ですか?
この事例から得られる教訓はいくつかありますが、一つは「実力に見合ったコース選び」です。
Bさんの計画は、初日に八方尾根から入山し唐松岳頂上山荘に宿泊、2日目は難所である不帰ノ嶮を超えて天狗山荘に宿泊、3日目以降も途中の山小屋に宿泊しながら縦走をするというものでした。
2日目は標準的なコースタイムで約5時間のところをBさんは約12時間かけて行動したものの、宿泊予定の山小屋にたどり着くことができず、最終的には長時間行動がたたり途中で飲料水も尽き、疲労と脱水のダブルパンチにより行動不能となっています。

唐松岳から荒々しい岩稜が続く「不帰ノ嶮」
不帰ノ嶮は、北アルプスを代表する難所の一つです。切り立った岩稜を縫うように縦走路が走り、緊張が強いられる鎖やハシゴの通過が連続し、アップダウンも多いため精神的にも体力的にもタフなコースです。
このようなコースを目指すには、標準的なコースタイムどおりに歩けること、つまり「スピード」が求められます。
登山は誰かと競い合うものではありませんので「スピード」と言われてもピンとこないかもしれませんが、北アルプスのような森林限界を超えた稜線を行動する際は、安全面を考えると一定のスピードが必要になります。
その理由としては、 行動時間が長引けば長引 くほど、飲料水や行動食は不足し、体力の消耗を招くリスクが高くなりますし、午後の遅い時間まで行動をすることで夏山の場合は雷に遭遇するリスクも高くなるからです。
Bさんは登山経験こそ14年と長いものの、71歳という年齢やトレーニングの内容(週数回のウオーキング)を考えると 、そもそも今回のコース設定に無理があったのではないかと思われます 。
日帰りや山小屋泊でも、必ずビバーク装備を携行していますか?

いざという時に役に立つ簡易シェルター
教訓の二つ目はビバーク装備の携行です。
不意のアクシデントによって行動できなくなってしまったとき、今回の事例のように救助要請をしても時間や場所、天候等によっては当日中の救助ができない場合があります。その時に外気を遮断する簡易シェルターや非常食等があれば体力の消耗を防ぐことができます。
たとえ日帰り登山や山小屋利用の場合であっても、必ず 、いざという時に備えて最低限のビバーク装備を準備してもらいたいと思います。
いつでも、どこでも、だれにでも起こり得る「転倒」遭難
3件目は、北アルプスの通称「裏銀座コース」の途中に位置する西岳で発生した転倒遭難です。
転倒遭難は、県内で発生する山岳遭難の中で最も多く、昨年夏山期間中は、101件中35件が転倒による遭難でした。転倒遭難はスリップ、木の根などへのつまづき、倒木や岩と岩のすき間への挟み込みなどが原因となって発生しています。
事例のように足首や下肢の捻挫や骨折を伴い、自力下山が困難となるケースが多く 、いわゆる危険箇所よりも「こんなところで……」という場所で発生することが殆どです。
「気の緩み」や「油断」、「不注意」に足元の不安定さが加わり偶発的に発生するパターンが多い傾向にあります。つまり、「いつでも、どこでも、誰にでも、起こり得る遭難」と言えるのです。
事例の遭難者Cさん(50歳 、男性)は、登山歴は約20年で、ランニングを日課とし、月に数回は山登りをして いるとのことで相当の経験者と言えるでしょう。
今回は仲間4人と2泊3日の予定で燕岳から槍ヶ岳に向けて裏銀座コースを縦走中、西岳付近を通過する際に不安定な浮き石に足を滑らせ足首を負傷してしまいました。
映像で見ても分かるとおり、現場は北アルプスではよく見かける一般的な登山道で、大小様々な岩が点在していますが、取り立てて危険な場所ではありません。しかし、このような場所で転倒遭難は発生しているのです。
順調なときこそ慎重な行動を心掛け、仲間がいるときは「浮き石に注意」 などお互いに具体的な注意喚起をしながら行動するようにしましょう。
最適な靴は人それぞれ。入山前に状態の確認も必須

ローカットシューズに多い足首の負傷
また、今回の事例のようにトレイルランニングシューズのようなローカットタイプのものは足首の保護や堅牢性という点でハイカットのトレッキングシューズや登山靴と比べて劣ります。
登山歴や脚力、実際に登山するコースや行程によって適した靴は 人それぞれ異なりますので、不安のある場合は、専門店で相談して自分に合った最適な1足を選んでもらいたいと思います。
それから、パトロールや常駐をしていると毎年のように靴底の剝離した登山靴で行動している方を見かけます。現場で応急処置の相談を受けることもしばしばありますし、過去には岩稜帯を通過中、靴底が剝離したため行動不能になり救助された事例もありました。
購入から年月の経過した靴や、外見から劣化が見られる場合は、剝離のおそれがないか必ず入山前に確認をお願いします。
まとめ|今回の事例から見えた、夏山登山中の注意点
◆標高にかかわらず、滑落の危険のあるコースを登山する際はヘルメットを着用する
頭部の負傷は致命的な遭難につながる。滑落により重傷を負いながらも、頭部についてはヘルメットを被っていたおかげで深刻なダメージを回避することができたケースも。
◆体力・技術など自身の実力に見合ったコ―ス選びをする
SNS上の登山記録や成功体験は、登山を計画する上でとても参考になるが、投稿者のスキルなどが分からないため、自身も同じ登山ができるとは限らない。SNSの情報を鵜呑みにしないこと。
また、「行けるところまで行ってみる」 「ダメだったら引き返す」 「昔は行けた」などど経験や体力を過信せず、ゆとりある計画を。
◆日帰りや小屋泊でもビバーク装備を必ず携行する
救助要請をしても時間や場所、天候等によっては当日中の救助ができない場合も。そんなときにも、外気を遮断する簡易シェルターや非常食等があれば体力の消耗を防ぐことができる。
◆順調なときこそ慎重な行動を心掛ける
転倒は、「気の緩み」や「油断」、「不注意」に足元の不安定さが加わり偶発的に発生する傾向。とくに、いわゆる危険箇所よりも「こんなところで……」という場所で多発。仲間がいるときは「浮き石に注意」 などお互いに具体的な注意喚起をしながら行動する。
◆登山歴や脚力、実際に登山するコースや行程によって適した靴選びをする
足首の保護や堅牢性という点では、ローカットよりもミドルカット・ハイカットのトレッキングシューズや登山靴が◎。靴底が剝離するおそれがないか等、入山前に登山靴の状態もチェックする。
終わりに
安全登山の基本は「自分も遭難するかもしれない」という危機感を事前準備の段階から実際の行動中も持ち続けることです。
この夏に長野県内で登山を予定されている方は、是非、今回紹介した遭難事例を参考に遭難の実態と登山のリスクに目を向け、安全で楽しい登山を心掛けてもらいたいと思います。







