300年前に起こった大噴火が原因
なんでこんなことになったのでしょうか。これには富士山の噴火の歴史が関わっています。
富士山を東側から眺めると、山腹に空いた大きな火口が目に入ります。富士山の噴火ではかなり大きな部類で、噴火が起きた時代の元号にちなんで「宝永火口」と呼ばれています。今からおよそ300年前の江戸時代、1707年冬のことです。噴火は約2週間続きました。
火山灰は東へ。登山道が埋まった!

絵図や文書など当時の史料を見てみると、火山性の地震や噴火の衝撃波による空振が起こり、立ち上がった噴煙の中で火山性の雷が起こる様子も記されています。
火山灰や火山弾の多くは山腹に降り積もり、当時のメジャールートであった村山口や須山口といった富士山の東南面に位置していた登山ルートも大打撃を受けました。いちばん影響の大きかった須山口では登山道が火口で寸断されてしまったため、復旧にはは73年の月日がかかっています。
御殿場口があるのはこの宝永火口の東側で、300年前に埋まってしまった森林がまだ復活しておらず、森林限界が低くなっています。五合目もそれに合わせて低くなっているというわけです。
火山灰は江戸まで到達!
吹き上がった火山灰や軽石は偏西風に乗って遠く100km以上にまで届きました。江戸でも火山灰が約4cmも積もり、直径1mm程度の軽石が降ったことが発掘調査で確認されています。

火山灰や軽石は麓にも降り注ぎ、多いところで3m以上も降り積もり壊滅状態となった村もあります。
写真の場所(神奈川県西部)はそこまでひどくはありませんでしたが、なんと数十cmも畑に積もった火山灰をそれまでの畑の土と天地返しして畑を復旧した痕跡が見つかりました。想像もできないほど当時の人々が苦労した跡が忍ばれます。
さらに追い打ちをかけたのが洪水です。降り積もった堆積物が雨で流されて川底に堆積し、川の高さ(河床)が上がって洪水が起きやすくなってしまったのです。こうした状況を乗り越えて農作物の収量が回復して立ち直るのに80年ほどかかったことが、年貢などの記録からわかるそうです。
きれいな左右対称の円錐形に見える富士山ですが、実はよく見るとそうではなく、過去の大きな噴火による影響が「五合目」にも現れているのです。
五合目だけでも面白い富士山

さすが富士山は日本一だけあって、五合目だけをとっても、歴史や植生や地質などの違いが見れて面白いですね。
自然の営みの面白さ、人間の営みとの関わり。そんなことに興味を持ってみると、また富士登山の面白さが倍増します。皆さんも味わってみてはいかがでしょうか。





