実用的&個性的、<松野屋>のアルマイト製品が山道具としても使えると話題
東京・馬喰町の<松野屋>は荒物問屋。荒物とは“暮らしの道具”のことであり、決して“山道具”のお店ではありません。それにもかかわらず、コッヘルやコップなどをはじめとするアルマイト(※1)製品は、個性的で実用的なアイテムとして着実に登山者からの注目を集めています。
今回は、一般客向けの直営店舗<谷中 松野屋>を訪れ、代表の松野弘さんから様々なお話を伺ってきました。
松野さんと登山の意外な関係や、道具に対する考え方など、道具との付き合い方や登山の楽しみ方のヒントも満載です!
暮らしの道具<谷中 松野屋>
<谷中 松野屋>は、日暮里駅から谷中銀座へ歩いて向かうと左手に見えてくる小さなお店。
「上野公園でも桜が咲いたみたいよ」。 店の前ではそんな立ち話が聞こえ、通りには下町情緒が残っています。
街並みに溶け込みながらも存在感のある店構え。店先にずらっと並ぶカゴやトタンの日用品に、道行く人はついつい足を止めてしまうようです。
お店を訪ねると、出迎えてくれたのは代表の松野弘さん。1945年創業の松野屋の3代目のご主人です。
「応接間を作りましょうか」。そう言って店先のヤマザクラの下でビールケースをひっくり返し、そこに腰を下ろしてお話を伺いました。
アメリカの放出品やアウトドア文化に触れ、やがて日本のヘビーデューティーへ
「ウチはもともと鞄問屋なんですよ。築地市場の仕事で使うような、集金鞄とかね。」
日用品が主力商品の現在でも、『プレイン』『スレッドライン』といったオリジナル帆布鞄シリーズを展開。その頑丈な作りは、キャンパーにも愛用者が多いとか。
「小さい頃から、そういう“仕事の鞄”には自然と興味を持っていました。それに加えて、近くのアメ横で米軍の放出品にも慣れ親しんでいた。他にも、アメリカのアウトドアカルチャーとかね。」
家業や慣れ親しんだカルチャーに共通するのは“ヘビーデューティー”(※2)であること。実用性本位であるという点は、どうやら創業から現在の松野屋まで通底しているようです。
「なるべく石油製品は使いたくない。でも、そこまで肩肘張らないようにしています。
個人的には柳宗悦の民芸運動(※3)にも共感します。でも、うちのはさらに庶民の暮らしに近い“民衆的手工業品”なんです。」
耐久性がありながら、なるべく自然素材のものを、あくまで手ごろな値段で提供する。そんな松野さんの思いや松野屋の製品は、いま人々の共感を呼んでいます。
登山に出会った京都時代
「自分も作り手になりたくて。」
そんな思いを胸に、大学卒業後に京都の<一澤帆布>の門を叩き、4年ほど鞄職人として修業。松野さんが登山に出会ったのもまさにその時でした。当時は、アメリカのアウトドアブームが始まった頃だったそうです。
「当時、雑誌に載っていたサレワのザックを真似て作りました。もう45年前になるかな。」
そう見せてくれたのは、使い込まれた手製のザック。
「もう岩登りはしませんが、妻や友人とは今でもハイキングに出かけますよ。」
手入れをして長く使う。交換して新しくなった肩ベルトが、今でも現役の道具であることを示していました。
“暮らしの道具”と“山の道具”を繋げる、大阪の工場での出会い
実は、松野屋ではもともと山道具と呼べる製品がひとつあります。それは、『アルマイト籐巻 コッフェルセット』。蓋と平皿、3種のクッカーが一つになった製品です。
クッカーの持ち手は籐巻でレトロな雰囲気。蓋はシンプルなロック機構付きで、全てセットで210gという軽さ。自然素材を使ったその実用性は、松野屋が目指す製品の形のひとつと言えそうです。
このように、“暮らしの道具”を販売する松野屋と“山の道具”を結びつけるきっかけとなったのは、実は大阪の工場で出会ったある道具だったそうです。
「アメリカの真似だけじゃだめだ」という気づき
「初めはシェラカップだと思いました。」
そう手に取って紹介してくれたのは、『アルマイト手付 マッコリコップ』。
確かに、本体と持ち手で構成され、その姿はシェラカップによく似ています。実はこれ、韓国ではマッコリを飲む際に使われているもの。
大阪の工場に足を運んだ際、倉庫の中で偶然出会ったそうです。
「一目見て、これは登山でも使えると感じました。」
それと同時に、長年アメリカのカルチャーに親しんできた松野さんは、別のある思いも抱いたそうです。
「日本には日本の山の楽しみ方があるはず。アメリカの真似だけじゃだめだ。」