「何も起きないことが最善」国際山岳医が取り組む【山岳医療パトロール】が目指すもの

2019/09/27 更新

登山中に怪我や体調不良に見舞われた経験はありませんか?万が一、山の中で治療が必要な状態に陥ってしまったら、すぐに病院に行くことも、救急車両が駆けつけることも困難です。そんな山岳という特殊な環境下で、トラブルなく安全に登山を楽しむにはどうしたらいいのでしょうか?その答えを探るため、ボランティアで医療パトロールを行なっている認定山岳医・山岳看護師の方々を取材しました。「ひとりでも多くの登山者を救いたい、無事の下山に導きたい」とボランティア活動をする彼らにはどんな想いがあるのでしょうか。


アイキャッチ画像撮影:三宅 雅也

山岳医療の現状 ~山岳診療所~

撮影:三宅 雅也
北アルプスや富士山など、特に入山者が多い山域にて、「山岳診療所」を見掛けたことがあるハイカーは多いはず。山小屋に併設されるこれらは「夏山診療所」とも呼ばれ、登山シーズン期に限定的に開設される救護所です。

そして、「あぁ確かあそこの山小屋にあったな…利用したことはないけれど」という方がほとんどではないでしょうか。むしろそれはとても良いことであり、無事に山岳レジャーを楽しめている証ともいえます。

しかし、大自然というフィールドの中では、いつ何時 自身が要治療者になるかはわかりません。万が一、山の中で治療が必要な状態に陥ってしまったら、すぐに病院に行くことも、救急車両が駆けつけることも困難です。そんな山岳という特殊な環境下で、トラブルなく安全に登山を楽しむにはどうしたらいいのでしょうか?

今回、その答えを探るため、ボランティアで医療パトロールを行なっている認定山岳医・山岳看護師の方々を取材を行いました。

山岳診療所は北アルプスに集中

提供:日本登山医学会 (槍穂連峰・涸沢)
まず、日本に存在する山岳診療所の数がいくつあるかご存知でしょうか?
全国の山岳診療所の数は全部で22箇所。その内の17箇所が北アルプスに集中しており、残りは南アルプスの北岳に1箇所、白山に1箇所、そして、富士山に3箇所となっています。

簡単には増やせない実情

提供:日本登山医学会 (薬師・裏銀座・三俣)
現在開設されている山岳診療所のほとんどは、バックボーンに大学医学部との連携があり、各大学の勤務医や大学出身者の医師や看護師、ならびに現役医大生が運営にあたっています。 実は、彼らは自身の休日を山岳医療の時間に充て、ボランティアとして山に入り活動しているのです。想像に難しくありませんが、医師不足という人的リソースの悩みは、各診療所共通の課題となっています。

また、環境面や資金面にも課題はあります。山小屋併設という環境から、山小屋そのものに診療所に充てられる充分なスペースがあることが大前提であり、器材や薬剤、治療費など、運営に関する費用を募金でまかなうケースもあるほど。

そのため、診療所を登録・開設することのハードルは極めて高いだけでなく、現存診療所の運営維持も易しくはないというのが、現在の山岳医療の実情です。

新しい取り組み「山岳医療パトロール」とは

撮影:三宅 雅也 (積雪期の鳳凰山より望む甲斐駒ヶ岳)
先にお伝えしたとおり、南アルプス全体で山岳診療所は北岳にわずか1箇所しかありません。しかし、どこの山へもアプローチが長い南アルプスの広大さは、多くの登山者が知るところ。

2017年7月、広大な南アルプス全体で圧倒的に不足している山岳診療所問題について、日本登山医学会は「山岳医療パトロール」という活動を開始しました。

それは、これまでの「患者が診療所に来る」という形ではなく、「医師自らが登山者側に歩み寄る」という全く新しいコンセプトでした。

甲斐駒ヶ岳 黒戸尾根の「七丈小屋」という存在

撮影:三宅 雅也 (黒戸尾根のオアシス的存在)
2017年より七丈小屋の新たな管理人にピオレドール賞受賞の登山家:花谷 泰広氏が着任し、日本登山医学会の構想に、花谷氏が賛同したことが本活動のきっかけとなりました。
医師たちは七丈小屋をベースキャンプとして活用できるようになり、甲斐駒ヶ岳山頂を往復するパトロールの実現が可能に。(※2018年より北杜市もこの活動を支援)

甲斐駒ヶ岳の黒戸尾根は急登が続く日本屈指のクラッシックルート。 深田久弥に「日本アルプスで最もきついルート」と言わしめたここは、登山口から山頂まで約2,200mと驚愕の標高差を誇ります。 そして、この長い難ルートに唯一存在する山小屋と水場が七丈小屋。この小屋なくしては、多くの登山者は立ち入ることすら困難になります。

山岳医療パトロール、その活動の内容

撮影:三宅 雅也
今回、本活動メンバーである草鹿教授 (国際山岳医) と江村院長 (国際山岳医) に同行、山岳医療パトロールの生の現場に密着しました。

パトロールの基本活動期間は、毎年7月下旬~10月初中旬の週末。
取材当日の2日間の天気はかなり危ぶまれていましたが、台風などの暴風でない限りパトロールは実施されます。ここからも、本活動にかける医師たちの強い決意が感じられました。
撮影:三宅 雅也 (甲斐駒ヶ岳山頂にて登山者の血中酸素濃度を測定する)
主な活動内容は、7割が「事故やケガ、病気などのトラブル未然防止の啓蒙活動」、2割が「疾病やケガの調査」、残る1割が「実際の治療や下山補助」とドクターたち。 黒戸尾根は、比較的レベルの高い登山者が入山することから、実際の治療行為に及ぶことは1シーズンで数件だそう。

しかし、「山岳医療パトロール」においてもっとも重要なのは、登山者に起こりうる潜在的な事故やケガ、病気などのトラブルの未然防止そのものであり、要治療者を作らないこと。 そう、何も起きないことが誰にとっても最善なのです。

撮影:三宅 雅也 (強風吹きすさむ中、数時間にわたる活動を行なう)
小屋や道中では登山者に声を掛け、顔色や表情、会話から体調等を確認。
山頂では、動脈酸素濃度計にて登山者のメディカルチェックを実施。 医学的アドバイスの実施や質疑応答、および調査のためのアンケート記入など、山頂滞在時間はおよそ3時間にも及びます。

天気に恵まれればまだ良いですが、陽射しがなく風が強い日などの苦労は相当なもの。しかし、多くの登山者は、普段滅多に機会のない酸素飽和度測定や、医師たちからの貴重な話に積極的に耳を傾けており、啓蒙活動の意義深さはひしひしと伝わってきました。

山小屋でのミニレクチャー

撮影:三宅 雅也 (夕食の時間を活用した啓蒙活動)
また、七丈小屋では夕食時に医師たちによるミニレクチャーが開催されます。高山病・低体温症・熱中症など、山岳にまつわる症状について、その発症メカニズムと対処法、事前回避の方法などをレクチャー。 知っているようで正確には理解されていない事や目からウロコ的な情報も含まれます。
撮影:三宅 雅也 (レクチャー後、個別相談に乗る草鹿教授)
さらに、レクチャー後には医師たちによる個別相談の時間まで設けられ、登山中に経験した体調不良や疲れない歩き方のコツ、行動食の効果的な摂り方など、登山時に感じていた多くの疑問を国際山岳医にぶつけられる貴重な機会となっています。

この様な体験は、登山者の安全意識やリスク管理意識の更なる向上に繋がっていくきっかけとなります。そして、知り得た安全登山へのヒントを各登山者が山仲間に伝播し、それが広がっていくことで、結果として未然のトラブル防止に繋がっていくのです。

ドクターたちが目指す山岳医療の未来

撮影:三宅 雅也 (北沢峠からの登山者を見守るドクターたち)
2017年から始動した山岳医療パトロールも既に3年目を迎え、医師たちの今後の考えを聞きました。

メインはやはり登山者への注意喚起、啓蒙活動による未然のトラブル防止です。南アルプスという広大なエリアにおける現在の山岳医療パトロールは、ファーストステップとして考えています。来年度には、同様のパトロール活動を八ヶ岳の編笠岳にても開始予定です。

そして、その先に目指すのは、南アルプスにおいて特に入山者が多い「北沢峠」と「広河原」での診療所開設です。 より多くの登山者が安全無事に帰宅できるよう、磐石の体制で登山者を迎えられる医療体制を整えたい。それが我々認定山岳医が目指すところです。

撮影:三宅 雅也
草鹿教授、江村院長ともに、「医療知識と技術」「山岳技術と経験」を余すところなく活用し、登山者の安全を守るため、自身の休日を投げ打って無償で活動しています。そして、それは彼らだけではなく、本活動に参与している医師・看護師すべてが同じ熱き想いを持って取り組んでいるからこそ成り立っているのです。

撮影:三宅 雅也
人命を救うことができる知識と技術を持った人たちが、山岳というフィールドで、人知れず活動してくれていることの心強さと安心感は非常に大きなものがあります。
七丈小屋含め、多くの人々が関わっているこの活動ですが、まずは私たち登山者が安全意識を持ち、おのおので出来ることをしっかりやって安全登山に臨むことが大切です。
それが第一の、そして何よりの“トラブル防止”につながっていくのです。

取材協力

■草鹿 元
日本登山医学会理事
日本登山医学会認定山岳医 委員長
自治医科大学附属さいたま医療センター脳神経外科教授
栃木県勤労者山岳連盟 野木山想会副会長

■江村 俊也
山岳医・山岳看護師活用小委員会 (広報担当)
医療法人江村医院 院長

山岳医療パトロール HP

■花谷 泰広
甲斐駒ヶ岳 七丈小屋
運営管理 ㈱ファーストアッセント代表

監修 草鹿 元 (上述)
取材・文 三宅 雅也 (山岳ライター/長野県自然保護レンジャー)


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三宅 雅也
三宅 雅也

長野県自然保護レンジャー、山岳ライター。 アルプスを中心に、トレランから厳冬期登山まで幅広く活動。 鷲羽-水晶-赤牛岳、槍ヶ岳~笠ヶ岳、荒川三山、中央アルプス主峰全山など、ロング日帰りのスピードハイクを得意とする。 また、キャンピングカーにて、登山と旅を掛け合わせた「外遊び人生漫遊術」を構築中。 スピードハイクの詳細はこちら! ウェブサイトはこちら

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