山岳医療の現状 ~山岳診療所~

そして、「あぁ確かあそこの山小屋にあったな…利用したことはないけれど」という方がほとんどではないでしょうか。むしろそれはとても良いことであり、無事に山岳レジャーを楽しめている証ともいえます。
しかし、大自然というフィールドの中では、いつ何時 自身が要治療者になるかはわかりません。万が一、山の中で治療が必要な状態に陥ってしまったら、すぐに病院に行くことも、救急車両が駆けつけることも困難です。そんな山岳という特殊な環境下で、トラブルなく安全に登山を楽しむにはどうしたらいいのでしょうか?
今回、その答えを探るため、ボランティアで医療パトロールを行なっている認定山岳医・山岳看護師の方々を取材を行いました。
山岳診療所は北アルプスに集中

全国の山岳診療所の数は全部で22箇所。その内の17箇所が北アルプスに集中しており、残りは南アルプスの北岳に1箇所、白山に1箇所、そして、富士山に3箇所となっています。
簡単には増やせない実情

また、環境面や資金面にも課題はあります。山小屋併設という環境から、山小屋そのものに診療所に充てられる充分なスペースがあることが大前提であり、器材や薬剤、治療費など、運営に関する費用を募金でまかなうケースもあるほど。
そのため、診療所を登録・開設することのハードルは極めて高いだけでなく、現存診療所の運営維持も易しくはないというのが、現在の山岳医療の実情です。
新しい取り組み「山岳医療パトロール」とは

2017年7月、広大な南アルプス全体で圧倒的に不足している山岳診療所問題について、日本登山医学会は「山岳医療パトロール」という活動を開始しました。
それは、これまでの「患者が診療所に来る」という形ではなく、「医師自らが登山者側に歩み寄る」という全く新しいコンセプトでした。
甲斐駒ヶ岳 黒戸尾根の「七丈小屋」という存在

医師たちは七丈小屋をベースキャンプとして活用できるようになり、甲斐駒ヶ岳山頂を往復するパトロールの実現が可能に。(※2018年より北杜市もこの活動を支援)
甲斐駒ヶ岳の黒戸尾根は急登が続く日本屈指のクラッシックルート。 深田久弥に「日本アルプスで最もきついルート」と言わしめたここは、登山口から山頂まで約2,200mと驚愕の標高差を誇ります。 そして、この長い難ルートに唯一存在する山小屋と水場が七丈小屋。この小屋なくしては、多くの登山者は立ち入ることすら困難になります。
山岳医療パトロール、その活動の内容

パトロールの基本活動期間は、毎年7月下旬~10月初中旬の週末。
取材当日の2日間の天気はかなり危ぶまれていましたが、台風などの暴風でない限りパトロールは実施されます。ここからも、本活動にかける医師たちの強い決意が感じられました。

しかし、「山岳医療パトロール」においてもっとも重要なのは、登山者に起こりうる潜在的な事故やケガ、病気などのトラブルの未然防止そのものであり、要治療者を作らないこと。 そう、何も起きないことが誰にとっても最善なのです。

山頂では、動脈酸素濃度計にて登山者のメディカルチェックを実施。 医学的アドバイスの実施や質疑応答、および調査のためのアンケート記入など、山頂滞在時間はおよそ3時間にも及びます。
天気に恵まれればまだ良いですが、陽射しがなく風が強い日などの苦労は相当なもの。しかし、多くの登山者は、普段滅多に機会のない酸素飽和度測定や、医師たちからの貴重な話に積極的に耳を傾けており、啓蒙活動の意義深さはひしひしと伝わってきました。
山小屋でのミニレクチャー


この様な体験は、登山者の安全意識やリスク管理意識の更なる向上に繋がっていくきっかけとなります。そして、知り得た安全登山へのヒントを各登山者が山仲間に伝播し、それが広がっていくことで、結果として未然のトラブル防止に繋がっていくのです。
ドクターたちが目指す山岳医療の未来

メインはやはり登山者への注意喚起、啓蒙活動による未然のトラブル防止です。南アルプスという広大なエリアにおける現在の山岳医療パトロールは、ファーストステップとして考えています。来年度には、同様のパトロール活動を八ヶ岳の編笠岳にても開始予定です。
そして、その先に目指すのは、南アルプスにおいて特に入山者が多い「北沢峠」と「広河原」での診療所開設です。 より多くの登山者が安全無事に帰宅できるよう、磐石の体制で登山者を迎えられる医療体制を整えたい。それが我々認定山岳医が目指すところです。

七丈小屋含め、多くの人々が関わっているこの活動ですが、まずは私たち登山者が安全意識を持ち、おのおので出来ることをしっかりやって安全登山に臨むことが大切です。
それが第一の、そして何よりの“トラブル防止”につながっていくのです。
取材協力
■草鹿 元日本登山医学会理事
日本登山医学会認定山岳医 委員長
自治医科大学附属さいたま医療センター脳神経外科教授
栃木県勤労者山岳連盟 野木山想会副会長
■江村 俊也
山岳医・山岳看護師活用小委員会 (広報担当)
医療法人江村医院 院長
山岳医療パトロール HP
■花谷 泰広
甲斐駒ヶ岳 七丈小屋
運営管理 ㈱ファーストアッセント代表
監修 草鹿 元 (上述)
取材・文 三宅 雅也 (山岳ライター/長野県自然保護レンジャー)