なかなか減らない遭難者数
2019年6月に警察庁が『平成30年における山岳遭難の概況』を公開しました。
そこから読み取れるのは、さまざまな公的機関や民間団体が遭難者を減らすために活動をしているにも関わらず、残念ながら山岳遭難の数や遭難者は減っていないという事実です。
普段なら絶対しないことを”なぜか”その時はしてしまった
今回、少しでもYAMA HACK読者に安全に登山を楽しんでもらうため、2018年12月に間ノ岳の登山中に脱水症状で行動不能となった真田さん(仮名)に話を聞くことができました。
真田さんの登山歴は6年。「疲れて山を楽しめないのがイヤ」という理由から事前のトレーニングを行なったり、「どんな山を登るにせよ遭難する可能性がある」と考えて、ツェルトやSOLのヴィヴィ(緊急時に使う寝袋のようなもの)、冬用のダウンウェアなどの、夜を明かすための装備をザックに入れていたりと安全にも気をつけて登山を楽しんでいます。
「普段なら絶対にしないことを”なぜか”その時はしてしまった」と反省する真田さん。その”なぜ”には、多くの登山者が注意すべきことが隠されていました。
優先すべきものは命、なのにその時は”山頂”が優先に
2年前から間ノ岳に登りたいと思い、1年前から準備やトレーニングをしてきた真田さん。「あの時の登山はすべてが反省だった」と当時を振り返ります。
しっかりと準備をしていたにも関わらず、遭難してしまった理由はなんだったのでしょう?
遭難した一番の原因はなに?
真田:いつものように判断できなかったことですね。正直、水が足りないかも知れないというのは途中から気づいていたんです。だけど、だんだん山頂が見えてくるにしたがって「あそこに行きたい」という気持ちが勝っちゃったんです。
ずっと前から登りたいと思って準備もしてきたので、「絶対に登りたいという」気持ちが強くて、結果的に判断を誤ってしまいました。
遭難した時、不安な気持ちはなかったの?
真田:足は動かなかったんですが行動食も残っていましたし、時間はかかるけどロープを使えば降りて水場まで行けると思っていたので、不安は正直そこまでありませんでした。
ただ、一緒に登っていた友人があのタイミングで救助を呼んでくれたのは結果的に良かったんだと思います。
いざ救助された時は本当に反省の気持ちで一杯でしたし、寄り添ってくれていた友達にも「残して降りていいよ」なんて言ってしまって、申し訳ない気持ちしかありません。
救急車の人に「生きていてよかったね」と言われた時は、少し救われた気持ちになりました。
”撤退も当たり前”くらいの気持ちでいて欲しい
遭難する前から高い遭難対策の意識があった真田さんですが、遭難後はより安全に関して考えるようになったようです。