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【撤退、そして再びアマ・ダブラムへ】新進気鋭の写真家・上田優紀の挑戦【vol.4】(2ページ目)

もう1つはキャンプ3の設置。前回、僕はキャンプ2から上部の壁を攻略するのに時間がかかりすぎた。午前中、時間が経つとともに風が強くなってくるアマ・ダブラムではそれが命取りになる。キャンプ3を設置すれば、登山自体は1日多くかかるものの、サミットプッシュに費やす時間は短くなる。夜中に出れば朝早くに登頂でき、昼過ぎには比較的安全なキャンプ2まで下りてこられる。
メリットしかなさそうなキャンプ3だが雪崩の危険があるため、ほとんどの人は設置していなかった。4年前、大規模な雪崩がキャンプ3を襲い、そこにテントを張っていた隊が全滅するという事故があったのだ。そのため、少し躊躇していたが、シェルパも最後には納得してくれた。


ヤクたちの鈴の音が心を少しだけなごましてくれる 撮影:上田優紀

そこから2日間は休養日にあて、体を休めることに専念した。2000mも下ってくると流石に酸素が濃く、久しぶりにゆっくりと眠ることが出来た。まだ肋骨は痛むが、こればっかりは我慢するしかない。

10月25日、いよいよ最後の挑戦がはじまった。泣いても笑ってもあと4日で全てが終わる。そう思うと、自然に気持ちが高まってくる。午前9時、もう何度登ったのか分からない取り付きの丘をゆっくりと登っていく。
いつも通り2時間かけてハイキャンプまで歩き、いつもと同じ岩に座って熱いお茶を飲みながら南西稜の先にそびえるアマ・ダブラムを眺めた。雲は多少あるが、風はなく、頂もよく見えている。これから行くルートを目で追い、キャンプ1まで高度を上げていく。

シェルパも休憩しながらゆっくりと岩壁を登っていた 撮影:上田優紀

尾根まで上がってキャンプ1、そして、翌日、キャンプ2へと登っていた。激しいロッククライミングに呼吸は乱れ、肋骨も痛むが、黙々と先に進む。キャンプ2もすでに三度目、高度障害はほとんどなく、難所のイエロータワーもそれほど苦労はしなかったが、それでもやはり空気は薄くなっているのがよく分かる。

前回から設置されたままのテントに入るとすぐに氷を溶かして大量の水を作り、時間をかけて紅茶を2リットル飲んだ。午後になると次第に雲が増え始め、雪が降りだしてきた。少しだけ不安がよぎるが、気にしても仕方ない。シュラフに潜り込むと疲れていたのかすぐに意識が遠くなっていった。

息が苦しくて目が覚めた。明らかに体に酸素が足りていない。1時間ほど眠ってしまい、呼吸が浅くなってしまっていたようだ。再び標高6000mの世界に戻ってきたな、そんなことを考えながらゆっくりと深呼吸を繰り返し、意識を回復させていく。


夕方、キャンプ2からアマ・ダブラムを見上げる 撮影:上田優紀

夕方、テントの外に出て、明日上がっていくアマ・ダブラムを眺める。改めて見るとものすごいルートだ。頂上までほとんど座れる場所もなく、そのまま垂直の壁が続いている。ここまでも十分険しい道のりだったが、さらに厳しくなっていく。まるでキャンプ2は別世界との境界線のように思えた。この先はアマ・ダブラムの懐の中に入って行く。


キャンプ2を出発し、難所マッシュルームリッジ越えを目指す 撮影:上田優紀


氷の上を滑落しないよう、気をつけて歩く 撮影:上田優紀

朝起きると快晴だった。暑かったが最初からダウンスーツを着込み、キャンプ3を目指す。どこまで続くか分からない岩壁を喘ぎながら登っていくが、撤退した前回よりも明らかに調子が良く、スピードも速い。次第に岩は氷の壁に変わっていき、ピッケルを使いながら丁寧に進んでいった。


キャンプ2より上は空と氷のコントラストが美しい世界が広がる 撮影:上田優紀

標高6300m、真っ白な氷壁と宇宙を抱えた濃紺の空のコントラストが美しい場所だった。迷路のような氷と雪の世界を登っていく。聞こえるのはザクッザクッというアイゼンが氷に食い込む音と自分の吐息だけだった。静寂に包まれ、とても気持ちのいいクライミングがここを6000mの世界だということを一瞬だけ忘れさせる。

頂上直下に貼られたキャンプ3のテント 撮影:上田優紀

充実した時間を過ごしながらゆっくりと、午後1時にキャンプ3に到着。キャンプ2より上でテントを立てるスペースがあるのは唯一ここだけだった。ここからはもう頂上直下。キャンプ3からそのまま垂直の壁が頂上まで伸びており、その頂は眩しい太陽の光を反射し、純白に輝いていた。


世界第6位のチョー・オユーが夕陽に染まる 撮影:上田優紀

日が沈む頃、再び風が強くなってきた。雪煙が舞い、頂上は隠れて見えなくなってしまった。嫌な記憶が蘇ってきたが、そんな僕の気を知ってか知らずか、世界第6位のチョー・オユーが夕陽に染まり、その美しい姿が少しだけ気持ちを落ち着かせてくれた。

その日は夕食を午後6時にとって、7時前にはシュラフに入った。仮眠をとって、午前1時に起床、出発は2時、6時半頃には登頂できるはずだ。午前1時、予定通りに起床、前回と同じように1時間かけて準備を進めた。バックパックの中も前と同じ。カメラの予備電池は暖かいダウンスーツの内ポケットに入れている。あとはアイゼンを履いて出発するだけだったが、風がテントを叩く音が想定よりも強かった。

ベースキャンプからの連絡によれば、あと1時間ほどで弱まってくるはず、とのことだったのでしばらく待機することにした。やることもなくぼんやりしていると良くないイメージだけが湧いてくる。
このまま風が止まず、朝を迎えたらどうしよう。夕方にはキャンプ2に降りなくてはいけない、食料だってギリギリしかない、そうなったら本当にアタックを中止するしかない。早く止んでくれ、そんなことを願いながらテントの中で出発の時を待ち続けた。

午前3時半。風の音は少し弱くなっている気がする。狭いテントの中で隣に座るシェルパに声をかける。

「行こう!チャンスだ!」

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