アイキャッチ画像提供:毎日映画社
約80年前の記憶を頼りに探し出される究極の”お宝”

提供:毎日映画社
エベレストなどの高峰を擁し、登山家のあこがれでもあるヒマラヤ山脈。実は日本人として初めてヒマラヤ登山に成功したのは立教大学山岳部といわれています。ヒマラヤ登山を成功させた1936年(昭和11年)当時の記録によると、山の頂には日の丸や校旗、支援していた毎日新聞社の社旗が埋められているのだとか。「日本山岳史の金字塔」ともいわれるこの”お宝”を、80年以上の時を越えて掘り起こす一大プロジェクトが動きだしました。
眠っているのは6000mを超えるヒマラヤの聖峰

提供:毎日映画社
当時の立教大学山岳部が登頂したのは、標高6861mのナンダコート。8000m峰ほどの高度はありませんが、インドでは「女神・ナンダを守る砦」という意味の聖峰として知られ、当時まだ未踏の山だったことを踏まえても、この山を登る意義は非常に大きいといえます。
幻となった日本初の偉業

提供:毎日映画社
日本山岳史の金字塔ともいわれるヒマラヤ初登頂の偉業ですが、実は同年に発生した軍事クーデーター「二・二六事件」の影響により、あまり注目されることはありませんでした。ナンダコート登頂が再び注目されたのは、昨年のこと。当時の記録映像をはじめ、なんと、遠征で使われていたテントが見つかったことにはじまります。

提供:毎日映画社
当時の最高レベルの技術によって縫製されたテントや映像は、歴史の中で忘れ去られた記憶を一気に呼び戻し、当時の若者による壮大な挑戦の記録を今に伝えます。
すべてが手探り!5人の男たちが81年ぶりにヒマラヤへ挑む

撮影:YAMA HACK編集部(壮行会・記者会見の様子)
およそ80年もの時を超えて再びナンダコートの登頂を目指すのは、世界初のヒマラヤ縦走を成功させているリーダーの大蔵喜福氏と立教大学山岳部OBを含む全5名。初登頂を果たした1936年10月5日と同じ日を目標に、再び頂を目指します。

撮影:YAMA HACK編集部
7月に行われた壮行会では、旗の捜索方法や時間について様々な質問が投げかけられました。大蔵氏によると、「金属探知機を使用する予定。捜索の時間は決めておらず、もしすぐに見つからない場合は山頂にテントを張ってでも探し続ける予定」とのこと。80年以上山頂で眠り続けていた旗はどのような形で見つかるのでしょうか?
次回は帰国後の記者会見の様子をお届けします!