キツいイメージ?大学山岳部がやっていること

立教大学山岳部のコーチに話を聞いてみた


現在の立教大学山岳部について聞かせてください
武石さん:現在は全部で4人。積雪期の谷川岳での雪上訓練や、剱岳の定着合宿(縦走)など、年7回の合宿を行っています。(※1)編集部 :人数はとても少ないですが、大学の山岳部というのはやはり減少気味なのでしょうか?
武石さん:他大学では、明治学院大や成蹊大学などの山岳部はなくなったと聞いています。ただ、一方で東大はすごく多いと聞いたこともあります。どこも少なくなっているというわけではなくて、波があるんでしょうね。
今と昔の山岳部の違いは?

武石さん:今の活動は大学によっても様々。海外遠征までするところはあまりないけど、自分たちの好きなようにチャレンジをしてくれればいいと思ってますよ。本人たちで行き先も決めてもらうんです。「したい!」と思ったことに対して今の状態で無理ならば技術の指導をするし、「ここに行け!」という誘導をすることもない。自分が現役のころは円高やトレッキングピーク(※)の開放があったりでタイミングもよく、入部1年以内にヒマラヤにもチャレンジできていたんですよ。でも、今でもその気になればできるはず。
※通常面倒な手続きが多いヒマラヤの山の中で、トレッキングピークの対象となる山は簡易的な手続きで登ることが可能になった。
編集部 :現役にはどのような技術指導をされているんですか?
武石さん:体力は最低限必要ですが、命を守るために必要な技術。雪上訓練やクライミング技術などですね。部員が少なくなってしまうことでこういった技術が後輩に継承されづらくなるし、いったん0人になれば途絶えてしまいます。そんなときのために、我々OBが様々な登山技術を継承するバックアップをしています。
編集部 :たしかに、そうすることで山岳部や山岳会といった団体は世代を超えて技術が継承されていくことができますね。
山岳部などで継承される技術が果たす役割って、どんなものだと思いますか?
武石さん:ワンダーフォーゲル部や高校山岳部では雪山など禁止されているところもある。でも、山岳部にはそういった規制はありません。例えば、現役の時に北海道の日高山脈で沢登り縦走をしたことがあるんです。軽量化するために食料は自給自足で考えていたんですが、結局1日目にイワナが釣れただけで、ほかは全部ふりかけ(笑)。岩登りや懸垂下降の連続、ゴルジュで流されたりハイマツをかき分けたり、ヒグマに出会ったり、様々な経験をしました。一週間誰にも会わなかったけど、めちゃくちゃ面白かった!
編集部 :沢登りの話も、きっと何も経験がない人はそんなことをしようとも思わない。でも、経験を積むことで、「日高山脈で自給自足の沢登り合宿やってみたら楽しそうじゃない?」という発想に至るんですね。
武石さん:そのとおり。コーチとして教えることは技術。あとは経験談を話す程度。部員たちは自分たちで道を切り開いていく。単純に、南アルプスを端から端まで縦走しても面白いですよ。大体十数日でできますし、冬に全山縦走を1か月かけてやった人もいます。学生には長い時間があるのがいいところ。みんなが足を踏み入れている山でもいろんな楽しみ方があることを知ってほしいね。
世代を超えて価値観を共有できるということ
武石さん:私が現役の時は北アルプスの黒部横断を試みたけどできなかったんですよね。でも、そのあと後輩がやってのけた。夢を引き継いで、世代を超えてそういう話ができるのは面白いですよ。昔からやってることはそんなに変わらないんです。技術を磨いて挑戦して、クリアしたら新たな行き先が見えて・・・その先にヒマラヤ遠征などがあるんです。
編集部 :記録は時間をかけてもずっと残るものであり、特にそういった世界的なものは世代を超えてつながるきっかけにもなってるんですね。
武石さん:自分にとっては、チョモロンゾの新ルートを登ったのが一番の誇り。世界初のルートだから、今でも記録には「Japanese route」って書いてあるんです。これは僕が死んでも残ります。ナンダ・コートや、自分が打ち立てた記録は時がたつほど価値があるものと気づかせてくれるし、「自分にはこれがある!」と時間を超えて自分を奮い立たせてくれるんです。
もちろん、その時間を共にした仲間も一生ものですよ。
ルールはない。レベルアップすることで見えてくるもの

山の楽しみは数あれど、いつだって盛り上げたり、新たな道を切り開いてきたのはチャレンジ精神あふれる人たち。山岳部というのはそういう人が活躍する源泉のような場所なのかもしれませんね。