COCOHELI 山岳遭難対策制度(ココヘリ) 550万円までの捜索救助を実施 入会金1,100円OFFで申込む

【私の登山史】初めての寝袋は、米兵の遺体輸送用。50~70年代から見る登山(2ページ目)

1972年8月25日~4日間、豪雨で辛い笠ヶ岳登山を決行

1972年8月の笠ヶ岳登山時の様子
出典:ヤマレコ by rakuinkyo6(写真は1972年8月の笠ヶ岳登山時の様子)

70年代になると、モノクロだった写真がカラーに。すでに社会人になっていたrakuinkyo6さんは、1972年8月25日から4日間の登山は、天気に恵まれず大変な思いをして登りました。写真は奇跡的に晴れた唯一の晴れ日の3日目。

2日目は豪雨で、ワサビ平小屋に缶詰に。”何もしない”ことが、耐えがたく辛いものだと初めて知る

双六小屋
出典:北アルプス双六小屋(写真は、イメージで当時の写真ではありません)

4日間のうち、3日目だけが唯一の晴れ。想定以上に険しい登り道に、当初の山行計画を4度も変更し登ったそうです。あまりの豪雨に2日目は、リーダーの判断でワサビ平小屋で静かに雨があがるときを待っていました。

2日目と4日目が雨で、この山行は、雨にたたられた山行と言えます。
しかし、2日目はリーダーの判断によって出発延期としたのですが、当時は山荘にテレビなど無い時代です。やる事の無い1日を過ごすのが、これ程辛いものかと、思い知らされました。by rakuinkyo6さん

願いが山の神に届いたのか・・3日目は奇跡的に晴れ、素晴らしい絶景が広がっていた

これが、3日目の雨があがった時に奇跡的に見れた槍ヶ岳。前日の豪雨は嘘のような素晴らしい風景に大興奮。

昼めしは、”即席ラーメン”を。50年代はクジラの缶詰や粉から作るカレーが主流だったので、かなり進化した

今回の山行のリーダー
出典:ヤマレコ by rakuinkyo6(写真は、今回の山行のリーダー)

今回の悪天候な山行で、登山道・環境状況、体力や技術力状況などを見極め、的確な計画変更と指示をしてくれたリーダー。昼飯時も、自ら即席ラーメンを作ってくれています。

山小屋が50年代と比べると多くなり進化したため、基本的に山小屋泊でしたので、朝食・夕食は山小屋で提供してくれるものを食べました。昼食は山小屋でおにぎりを作ってもらうか、この頃は即席ラーメンが流行っていましたので、よく食べましたね。by rakuinkyo6さん

 

ちなみに、50年代の山行では、レトルトカレーなどがなく、今でもS&Bカレー等で販売されているかと思いますが、カレー粉(直径5cm、高さ6cmくらいの円柱の赤い缶に入っていた)を持っていきました。ジャガイモ・玉ねぎを茹でて、小麦粉を加えてとろみを付け、最後にカレー粉とコンビーフを加えて出来上がり。美味しかったですね~。カレーでない時は、魚やクジラの缶詰等をおかずにしていましたね。ご飯は、夕食と朝食時には飯盒で炊いていました。昼食は、朝に炊いたご飯をおにぎりにして食べました。by rakuinkyo6さん

山頂では、人生初のブロッケン現象を体験。雷鳥にも遭遇

笠ヶ岳山頂で、初のブロッケン現象を体験しました。この時は、何が起きたのか分からず、写真撮るのを忘れていました。残念です・・。この山行から約30年後、たまたま読んだ新田次郎の「槍ヶ岳開山」に、播隆上人(ばんりゅうしょうにん)が笠ヶ岳を再興するに際して、笠ヶ岳山頂でブロッケン現象を初体験したというのを知り、とても驚きました。もしかしたら、自分は生まれ変わりなのか・・?!なんて冗談交じりで当時のことを思い出しながら、読んでしまいました。by rakuinkyo6さん

2 / 3ページ