【私の登山史】初めての寝袋は、米兵の遺体輸送用。50~70年代から見る登山

50年代~70年代の登山、想像したことがありますか?まだ今のように道具の進化もままならず、米軍サープラス商品を使うことも多かった時代。今回はrakuinkyo6さんに、当時の写真を交えて語って頂きました。当時の写真と情報はとても貴重で最後まで目が離せません。

アイキャッチ画像出典:ヤマレコ by rakuinkyo6(写真は、1971年常念岳登山の様子。後ろには槍も見えている)

御年75歳、1950~70年代の記録を話してくれたrakuinkyo6さん

出典:ヤマレコ by rakuinkyo6(写真は、2017年2月8日黒斑山山頂にて)
今回お話してくださったrakuinkyo6さんが登山に出会ったのは高校1年生の時。実に登山歴60年以上にものぼります。1950年代、高校の時に登山デビューした貴重なお話や、社会人になってからの1972年の笠ヶ岳登山時の写真・山行記録を交えて、当時を語って頂きました。今では想像できない登山道具の数々や山行に驚きを隠せません。

高校で山岳部へ。ボストンバッグでデビュー・・・

ボストンバッグ 出典:PXTA(写真はイメージです)
1950年代後半、高校1年だったrakuinkyo6さん。憧れて入部したのではなく、先輩に半ば強引に誘われ気づけば山岳部の一員に・・・山に興味がまだなかったrakuinkyo6さんは、5月の新入部員歓迎登山にボストンバッグを持って参加しました。

先輩に「どこに行くつもりなんだよ?」と冷やかされ、その日は一日中ばつの悪い思いをしたのが忘れられません。登っている途中、樹林帯を歩くばかりで、何故こんなに苦労して登らなければならないのか理解できませんでしたが、山頂に到達した瞬間、見晴らしの良さに加えて、これまでに経験したことの無い達成感を味わったことが、未だに山行を続けている原因の様に思います。by rakuinkyo6さん

高2で初めて買った寝袋は、朝鮮戦争で亡くなった米兵の遺体入っていた・・と後から知り処分・・

出典:wikipedia(画像はイメージです。朝鮮戦争時の米軍の重迫撃砲陣地の様子)
1950年代後半は米軍サープラス商品も手に入った時代。夏の間バイトをして貯めて買った、初めての寝袋はシミだらけ。後から知ったのは、死者400万人以上も出した悲惨な戦争、”朝鮮戦争”で亡くなった米兵の遺体を入れて日本に輸送し、登山用品店が払い下げしてもらっていた品でした。その事実を知ってからはどうしても使う気になれず、処分をしてしまいました。

寝袋は当時で、3000円しましたので、今時に換算すれば、3万円は下りませんね。登山靴は、一年生の夏にアルバイトをして、安価な革製の靴を購入したように記憶しています。当時は、革製が主流で、今のようにプラスチック製の物は無かったと思います。そして、ザックは当然ながら、あのカーキ色のキスリングでした。by rakuinkyo6さん

 流行りの帽子は”ハンチング”、今のような重ね着の考え方は、まだ恐らく主流ではなかった

出典:ヤマレコ by rakuinkyo6(写真は、1958年5月3日~5月5日の大菩薩峠の登山の様子)
帽子はハンチングが流行。でも、rakuinkyo6さんは、ほとんど学生帽だったそうです。写真は、1958年5月の大菩薩峠登山時の様子。ハンチング帽にキスリングが印象的です。

今の様に、ベースレイヤー、ミドルレイヤー、アウトレイヤーというような捉え方は無かったと思います。流行りの服装というものは有ったのかもしれませんが、この辺はよく分かりません。私は親父の古着を有効活用していました。by rakuinkyo6さん

50年代と言えば、キスリング。テントも重くそれは辛い山行だった

出典:ヤマレコ by rakuinkyo6(写真は1958年8月剱岳登山時の様子)
当時使っていたテントは重く、山ごはんの定番と言えばカレー。まだレトルトカレーやアルファー米などが無い時代のため、カレー用のジャガイモ・玉ねぎ、米、缶詰などを、テントなどのただでさえ重い荷物に加え背負っていたそうです。キスリングは今のように腰を支える部分がないため、全荷重が肩にかかり、痛みと重さに耐えながらの山行は体力と強靭な精神力が必要だったはず。

ちなみに、当時のバーナーは、アルコールバーナーを使用していました。バ-ナー本体に付いている小さなポンプを何回も押して圧をかけて使用するタイプのものでした。by rakuinkyo6さん

1958年、初めての剱岳。まだ黒部ダムは建設中

出典:ヤマレコ by rakuinkyo6(写真は、1958年8月剣岳登山時の様子)
先生と山岳部仲間と登ったはじめての剱岳。5日間にわたる山行で、2日目は、黒部川のつり橋が修理中で、なんと約3時間も待たされたそうです。写真は下の廊下の十字峡に行く予定だったものの、黒部ダムの工事中で通行禁止というがっかりしている状況の一コマ。まだ黒部湖はなく、船もなく、つり橋をわたっていたんですね。

私が体験した中で、進化したと言うよりは、当時とは大きく変わったことが二つ有ります。
一つは、平ノ渡場です。北アルプスの針ノ木峠から五色ヶ原に向かう際、現在は黒部湖を平ノ渡場から船で渡りますが、私が高校生の頃は、黒部ダムが完成する前だったので、黒部湖は存在して無く、黒部川をつり橋で渡っていました。しかし、残念ながら、つり橋の証拠写真が無いんですよね。ところが、2016の11月にNHKBSプレミアムの「北アルプス山岳古道を行く」という番組で、昔のつり橋の映像が放映されており当時の記憶と重なりました。by rakuinkyo6さん


1972年8月25日~4日間、豪雨で辛い笠ヶ岳登山を決行

出典:ヤマレコ by rakuinkyo6(写真は1972年8月の笠ヶ岳登山時の様子)
70年代になると、モノクロだった写真がカラーに。すでに社会人になっていたrakuinkyo6さんは、1972年8月25日から4日間の登山は、天気に恵まれず大変な思いをして登りました。写真は奇跡的に晴れた唯一の晴れ日の3日目。

2日目は豪雨で、ワサビ平小屋に缶詰に。”何もしない”ことが、耐えがたく辛いものだと初めて知る

出典:北アルプス双六小屋(写真は、イメージで当時の写真ではありません)
4日間のうち、3日目だけが唯一の晴れ。想定以上に険しい登り道に、当初の山行計画を4度も変更し登ったそうです。あまりの豪雨に2日目は、リーダーの判断でワサビ平小屋で静かに雨があがるときを待っていました。

2日目と4日目が雨で、この山行は、雨にたたられた山行と言えます。
しかし、2日目はリーダーの判断によって出発延期としたのですが、当時は山荘にテレビなど無い時代です。やる事の無い1日を過ごすのが、これ程辛いものかと、思い知らされました。by rakuinkyo6さん

願いが山の神に届いたのか・・3日目は奇跡的に晴れ、素晴らしい絶景が広がっていた

これが、3日目の雨があがった時に奇跡的に見れた槍ヶ岳。前日の豪雨は嘘のような素晴らしい風景に大興奮。

昼めしは、”即席ラーメン”を。50年代はクジラの缶詰や粉から作るカレーが主流だったので、かなり進化した

出典:ヤマレコ by rakuinkyo6(写真は、今回の山行のリーダー)
今回の悪天候な山行で、登山道・環境状況、体力や技術力状況などを見極め、的確な計画変更と指示をしてくれたリーダー。昼飯時も、自ら即席ラーメンを作ってくれています。

山小屋が50年代と比べると多くなり進化したため、基本的に山小屋泊でしたので、朝食・夕食は山小屋で提供してくれるものを食べました。昼食は山小屋でおにぎりを作ってもらうか、この頃は即席ラーメンが流行っていましたので、よく食べましたね。by rakuinkyo6さん

 

ちなみに、50年代の山行では、レトルトカレーなどがなく、今でもS&Bカレー等で販売されているかと思いますが、カレー粉(直径5cm、高さ6cmくらいの円柱の赤い缶に入っていた)を持っていきました。ジャガイモ・玉ねぎを茹でて、小麦粉を加えてとろみを付け、最後にカレー粉とコンビーフを加えて出来上がり。美味しかったですね~。カレーでない時は、魚やクジラの缶詰等をおかずにしていましたね。ご飯は、夕食と朝食時には飯盒で炊いていました。昼食は、朝に炊いたご飯をおにぎりにして食べました。by rakuinkyo6さん

山頂では、人生初のブロッケン現象を体験。雷鳥にも遭遇

笠ヶ岳山頂で、初のブロッケン現象を体験しました。この時は、何が起きたのか分からず、写真撮るのを忘れていました。残念です・・。この山行から約30年後、たまたま読んだ新田次郎の「槍ヶ岳開山」に、播隆上人(ばんりゅうしょうにん)が笠ヶ岳を再興するに際して、笠ヶ岳山頂でブロッケン現象を初体験したというのを知り、とても驚きました。もしかしたら、自分は生まれ変わりなのか・・?!なんて冗談交じりで当時のことを思い出しながら、読んでしまいました。by rakuinkyo6さん


70年代はレインウェアも出始める。そしてニッカボッカが流行

出典:ヤマレコ by rakuinkyo6(写真は、1971年 常念岳登山の様子)
70年代になると、道具も進化しはじめます。ニッカボッカが流行し、カラフルなザックも出現。ただ、キスリングが根強く残っている時期でもあったそう。このころ社会人になっていたrakuinkyo6さんは、自分用のカメラも買うことが出来たそうですが、いまのようなデジカメはなくフィルムだった時代。貴重な写真からも当時の様子がうかがえますね。

基本的に山小屋泊ですから、食料やテントを持っていく必要は無く、50年代に比べれば、肩への食い込みはかなり軽減されていましたね。登山靴は相変わらず革製が幅を利かせていて、今のようなゴアテックス製などは出現して無かった様に思います。この頃になると、ゴルフも盛んになったきており、上着・パンツともにレインウェアはありました。by rakuinkyo6さん

 数十年たって、道具の軽量化と山小屋が、すごく進化したと思う

出典:ヤマレコ by rakuinkyo6(写真は、1971年の白馬三山登山時、栂池ヒュッテと思われる小屋)

登山用品で進化したものといえば、ザックやテントをはじめとして、あらゆるものが軽量化されたことだと思います。更に、デザイン、撥水性、対摩耗性等の品質が良くなったことですね。山小屋で進化したものといえば、寝具とトイレがきれいになったことと、食事が良くなったことですね。理由は、歩荷がヘリコプターになってきたことが有ると思います。by rakuinkyo6さん

現在の登山の楽しみ方は、山頂を目指すことが主ではなく、写真を楽しみ記録に残すこと

出典:ヤマレコ by rakuinkyo6(写真は、2016年3月16日の小遠見山登山の様子)
rakuinkyo6さんは、登山をして山の素晴らしい写真を撮ることが今、一番の楽しみだそう。昔のように山頂を目指す。というよりも、”目的の山”を写真に撮ることに楽しみが変化しているそうです。3年ほど前から、行きつけの床屋さんの店内でrakuinkyo6さんの撮った作品を飾っていただいているとか!

ヤマレコの山行記録作成に当たっては、初めて行く方にも参考になるようにと、意識しています。
山行の途中で、気が向くままに写真を撮る関係で、ずっと単独行を続けて来ましたが、これは今後も変わらないと思いますね。近い将来、いよいよ登山が出来なくなりましたら、富士山の写真撮りに集中することも考えいます。勿論、下界からですよ。by rakuinkyo6さん

rakuinkyo6さんのヤマレコ記録
ヤマレコ

 

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YAMA HACK編集部
YAMA HACK編集部

YAMA HACK運営&記事編集担当。登山をきっかけに自然の力に魅了される。山で飲むコーヒーが大好き。何かあれば必ず山に行き、心身共に整える。山について新しい視点を与えられるような記事作りを心がけて日々執筆活動を行う。

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